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世界を読み解くコラム

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そもそも「法」は、どのようにしてできたのか?

皆さんは日常生活の中で、「何のために法律があるんだろう?」とか、「なぜこんな規則があるんだろう?」と考えてみたことがありますか?おそらく多くの人たちは、法律の存在を空気のようなものとしてとらえ、その意義について深く考えたことがないのではないでしょうか?

 

私は法哲学の研究者です。法哲学とは、常識や既成の知識にとらわれることなく、法に関する基本的問題について徹底的に懐疑し批判的に考察する分野です。

 

私は研究者として「この世からどれだけ法律を減らすことができるか」について考えています。こんなことを言うと驚く人もいるかもしれません。もし法律がなかったら、文字通りの「無法状態」に陥り、社会の秩序など保てるはずがない、と考える人が大多数でしょう。

 

では、現代のような法律ができる以前は、無秩序で荒廃した社会だったのでしょうか? 決してそんなことはありません。村落などの共同体には内部で共有される規範があり、その規範によって秩序が保たれていたのです。

 

法律には「社会の秩序を保つ」という役割がある一方で、「個人の自由を侵害する」という負の側面もあります。私は、「いかにして今日のように実定法が繁栄する時代になったのか」を辿る中で、「実定法がないという状態において、自生的秩序(歴史過程においておのずと形成されてきた秩序)によって社会の安定を保つことは可能か?」という問題について考察しているのです。

 

それではまず、法律というものがどのような過程を経て成立したのかについて概観しましょう。

 

共和政ローマにおいてはじめて定められた成文法である「十二表法」は、それまで用いられていた慣習法を明文化したものであると言われています。慣習法とは、部族や村落共同体など一定範囲の人々の間で伝統的に行われてきたことや口承で伝えられてきたことなどが、やがて法としての効力を持つようになったものです。

 

それまでローマの裁判は神官によってなされ、しかも神官職は貴族が独占していたため、平民は法を知ることができませんでした。そこで平民は法を明示することを強く求め、その結果、最古の成文法である十二表法が作られました。これによって神のお告げとしての裁判ではなく、法によって裁く裁判が始まったのです。

 

その後16~18世紀にヨーロッパで主権国家が成立すると、法は「主権者の命令」とされた時代を経て「主権者が作るもの」へと変遷します。しかし、この段階では国家主権は国王に握られており、国民はまだ主権者とされていません。

 

さらに19世紀ドイツでは、「立法権は君主と議会とが分有し、法律は立法者の意思であると同時に、公共の福利を実現するための手段である」という考え方が支配的となり、「権力者が民を支配するためのきまり」という性格が強まってきます。

 

そして20世紀に入ると、ドイツで「ワイマール憲法」が制定されます。この憲法は、国民主権・男女平等の普通選挙の採用に加えて、はじめて「社会権」(生存権、労働基本権、労働者の団結権など)の保障についても定めており、20世紀民主主義憲法の先駆けと言われています。この社会権とは、資本主義社会が生み出す社会的・経済的弱者が文化的・健康的に人間として生きていけるよう、国家が積極的に介入することを求める権利です。ワイマール憲法の制定以降、国家が社会に介入するための制定法の数が増え、複雑化することとなりました。

「法化」社会~人が法に翻弄される社会~

やがて欧米では1970年代後半から、行き過ぎた「法化」が議論の対象とされるようになりました。法化とは、国家が、社会で発生するさまざまな問題に対して法律を道具として解決しようとする傾向が強まり、結果として制定法が増殖し訴訟対象が拡大する現象のことです。

 

たとえば、従来は「法は家に入らず」というローマ法以来の原則がありました。これは、家庭内の問題に対して法は関与せず自治的解決に委ねるべきであるとの考え方を示すもので、民法の協議離婚制度(当事者の合意があれば裁判所の関与なしに届出のみで離婚できる制度)などに具体化されています。しかし近年、家庭内における虐待や暴力に対して、「児童虐待防止法」や「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律(略称・DV防止法)」が制定されるなど、この原則を超えて積極的に家庭内の問題に法が介入する例も見られます。

 

このように、法化によって社会問題を解決しようという傾向は、一方で国家権力の守備範囲を拡大します。やがては、「犯罪そのものを未然に抑止するために、その兆候から摘発しよう」という動きとなって現れかねないのです。

 

実際の判例を見ても、「マンションに政治ビラを配って住居侵入罪にあたるとされた」とか、「公衆便所外壁に落書きをして建造物損壊罪にあたるとされた」などの例があります。中には、マンションの騒音問題で上階の住人に苦情を言うため部屋に立ち入ったところ、住居侵入罪で起訴された例もありました。「犯罪者でなければ警察の世話にはならない」というかつての常識は、もう通用しないのです。

 

ドイツの哲学者・社会哲学者であるユルゲン・ハーバーマスは、法化の進行について「法による生活世界の植民地化」と表現しています。本来は法律による規制になじまない「隣人関係」や「家庭」「教育現場」といった領域にまで法律が介入し、その結果として人々の生活やコミュニケーションが破壊されることを危惧し、行き過ぎた法化に警鐘を鳴らしているのです。

誰のための法律?

現在、日本には憲法を含めて約1,900の法律と約5,600の政令・省令など7,500近い法令があります。その中には、何のために、誰のために定められたのか疑問に感じるものも少なくありません。

 

その代表的な例が、2016年から導入された「マイナンバー制度」の根拠法たる「行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律」です。政府にとってマイナンバー導入の最大のメリットは、国民の収入が根こそぎ明らかになることです。そのため、財務省にとっては税金の取りっぱぐれがなくなります。また、各行政機関は制度の導入によって仕事の効率化を図ることができます。その一方で、私たち国民にとってのメリットは明確には見えていません。情報流出や利用目的の拡大などの恐れもあります。これではマイナンバーならぬ、“ユアナンバー”です。

 

また、医薬品に関する規制は、個人の行動・選択の自由を妨げている一例です。皆さんも「欧米に比べ、日本では新薬の承認に時間がかかる」という話を聞いたことがあると思います。「ドラッグ・ラグ」と呼ばれ、特に難病の治療を受けている患者にとっては深刻な問題で、制度の見直しを求める声が高まっています。現在の制度の下では、患者や家族が「リスクを冒しても生きるチャンスを得たい」と願っても、治療を諦めざるを得ないのです。

 

中には、法令としての役割がすでになくなっているにもかかわらず、さまざまな理由で廃止できないものもあります。現実に「こんな法律、本当に必要なの?」と思うような法律が、いまだに数多くあるのです。

 

例えば、皆さんは「決闘罪」という犯罪をご存知でしょうか?これは明治22年制定の「決闘罪ニ関スル件」に定められており、いわゆる「タイマン(1対1のケンカ)」を禁じたものです。第五条には、「決闘ノ挑に応セサルノ故ヲ以テ人ヲ誹謗シタル者ハ刑法ニ照シ誹毀ノ罪ヲ以テ論ス」とあります。つまり「決闘の挑みに応じなかったことを理由として人を“チキン”(臆病者)呼ばわりしたら、名誉毀損の罪として論ずる」というわけです。

 

また、明治時代に政府の財源として酒税が重視されたことに起源をもつ「酒税法」も、いまではその存在意義を疑いたくなる法律です。この法律は、たとえ自分で飲むためであっても、アルコール分1%以上の酒を無免許で作ることを禁じています。しかし、古来より日本人は自らの手でお酒を醸していました。日本に限らず、酒はその国の食文化と深い関わりを持っています。フランス、ドイツ、イタリアなどでは自家醸造を禁止したことはありません。また、過去において自家醸造を禁じていたイギリスやアメリカでも、その後解禁されています。日本における自家醸造の禁止は「文化の否定」と言うべきでしょう。

 

法化が進むのはやむを得ないとしても、国民の意思を代表する議会を通じて法律を成立させ、その法律が行政・司法も統制する、というのが真の「法治国家」のあり方です。しかし市民や企業を縛る規制内容は、「国民のためだから」と言いながら、役人が業界団体と相談しながら作成しているというのが実情です。そして規制内容の変更も撤回も、役所や政治家の考えで自由になされるというのが、いまの日本の現状なのです。

国家・法律のない社会とは?

ここまで、法の成立のプロセス、法化社会、法の必要性について考えてきました。行き過ぎた法化が、人々を翻弄している実態も見てきました。

 

いま多くの人々にとって、国家や法は空気のような「当たり前の存在」かもしれません。しかし、国家や法の束縛を最小化、もしくは無にすることによってより良い社会が実現するだろうという考え方もあるのです。2つの例を見てみましょう。

 

リバタリアニズム(自由尊重主義・自由至上主義)とは、「個人の自由(Liberty)を尊重し、国家によるそれへの制限を最小限にとどめることこそ正義である」という思想です。法をシンプルにし、国家の活動を治安維持と裁判のみに限定し、それ以外の権限を可能な限り市場における民間企業に委ねることを通じて、その効率性を確保しようとするものです。

 

アナルコ・キャピタリズム(無政府資本主義)とは、ひと言で言えば「政府などなくてよい、市場さえあればよい」という考え方です。警察や裁判所などあらゆる治安サービスは国家によってでなく民間企業によって提供され、通貨は複数の銀行によって供給され、その信用度の競争にさらされます。したがって、アナルコ・キャピタリズムの下では、個人の諸活動は政府に依存せず、私法と契約によって進められるのです。

 

想像してみてください。あなたにとって、このような社会は「幸福な社会」でしょうか?それとも「不幸な社会」でしょうか?

 

私たちが国家や法律への関心を持たず、法律に囲まれていることを意識しないで生活するうちに、法化社会は着々と進行し、個人の自律と自由を危うくしていきます。

 

いま、この国では、憲法改正の是非をめぐる議論が活発化してきています。また「特定秘密の保護に関する法律」や「安全保障関連法」の成立など、国家と法について考える機会も増えています。

 

日々の生活の中で「何のために国家があるのだろうか」「なぜこんな法律があるのだろうか」と考える習慣を身につけるとともに、「国家や法律のない世界はどんな世界だろう?」と想像をふくらませてみてください。

あわせて読みたい

  • 「国家は廃止すべきか?」 住吉雅美著(『問いかける法哲学』瀧川裕英 編 法律文化社:2016)
  • 『リバタリアンはこう考える:法哲学論集』 森村進著(信山社:2013)
  • 『自由のためのメカニズム-アナルコ・キャピタリズムへの道案内』 デイヴィッド・フリードマン著、森村進・他訳(勁草書房:2003)
  • 「国家なき社会--アナキズムの秩序構想」 住吉雅美著(『法の臨界[Ⅱ]秩序像の転換』井上達夫・嶋津格・松浦好治 編 東京大学出版会:1999)
  • 『リバタリアン宣言』(朝日新書) 藏研也著(朝日新聞出版社:2007)
  • 『自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門』(講談社現代新書) 森村進著(講談社:2001)

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