青山学院大学の教員は、
妥協を許さない研究者であり、
豊かな社会を目指し、
常に最先端の研究を行っています。
未来を創る本学教員の研究成果を紐解きます。
TOPIC
日本文化政策学会「学会奨励賞」とは
日本文化政策学会が、将来の文化政策学を担う優秀な若手研究者の研究を奨励し顕彰するとともに、日本文化政策学会をさらに活性化することを目的に設けられた制度。対象は、論文の執筆時において大学院生または大学院修了後(退学後)10年未満、またはこれらと同等と認められる者の論文・著書。
評価のポイント
日本国憲法第25条にある「文化」という文言に対し、法学に加えて歴史学などの多様な分析アプローチも取り入れて、丁寧に資料を収集・分析し、この言葉が用いられた背景にある起草者やステークホルダーの真意の解明にまで取り組んだことが、優れた点として認められました。憲法第25条における「文化」という文言を、文化政策研究の視点から解釈し活用する可能性を示した著作として高く評価されています。
トピックを先生と紐解く
中村 美帆 准教授
総合文化政策学部 総合文化政策学科
東京大学法学部第Ⅱ類(公法コース)卒業。東京大学大学院人文社会系研究科文化資源学研究専攻(文化経営学)博士課程単位取得満期退学、博士(文学)。主に法や制度に注目するアプローチで、文化政策学、文化資源学、文化経済学、アートマネジメント学を中心に、文化政策の理念と実践についての研究を行っている。日本における「文化権(cultural right)」のあり方への問題意識から、日本国憲法第25条における「文化」という文言の歴史的・思想的背景を明らかにしたことで、本奨励賞を受賞した。
文化に関する政策の一連のプロセスをマネジメント的な観点から検証
憲法第25条における「文化的」という言葉から文化権を考察
文化政策学を深めるには多様なものの見方が必要
文化政策学は、比較的新しい学問です。20世紀の終わり頃、あるいは2000年代に入ってから、さまざまな分野で「~政策研究」が広く行われるようになってきました。「政策学」と言ったときには、従前の行政学や政治学と比べて、行政が政策を立案・実行した成果とそのプロセスを検証することで改善につなげようとする、いわばマネジメントに近いものの見方をしているのが特徴です。教育政策、外交政策、環境政策の研究などがイメージしやすいかと思いますが、文化政策研究も同様に、文化に関する政策の一連のプロセスをマネジメント的な観点から検証する試みだといえます。
政策研究は学際的な学問領域だとよく言われますが、文化政策の考察にあたっては、当然ながら人文学をはじめとする文化に関する諸学問領域で積み重ねられてきた知見も生かす必要があります。単に経済学的側面からのみ評価することは適切ではありません。
今回、「学会奨励賞」をいただいた拙著「文化的に生きる権利―文化政策研究からみた憲法第二十五条の可能性」(春風社、2021年)では、日本国憲法第25条について、これまでの憲法学的なアプローチだけではなく、条文にある「文化的」という言葉に対して、その成立過程や成立当時の関係者が話した内容の分析、そこに見られる言葉の解釈など、歴史学や文学的なアプローチの考察も行いました。そうした学際的な視点が、文化政策学らしい研究のあり方を提示しているとして、評価していただけた部分もあると感じています。
文化政策の基本理念の1つに、文化に関わることを人権として認める「文化権(cultural right)」があります。第二次世界大戦以降、労働権や環境権と並んで、国際社会で議論されてきた新しい権利の1つです。1948年採択の世界人権宣言第27条第1項では、「すべて人は、自由に社会の文化生活に参加し、芸術を鑑賞し、及び科学の進歩とその恩恵とにあずかる権利を有する」(Everyone has the right freely to participate in the cultural life of the community, to enjoy the arts and to share in scientific advancement and its benefits.)と書かれています。
日本でも、21世紀になってから制定された国レベルの文化政策の基本法である文化芸術基本法第2条第3項において、「文化芸術に関する施策の推進に当たっては、文化芸術を創造し、享受することが人々の生まれながらの権利であることに鑑み、国民がその年齢、障害の有無、経済的な状況又は居住する地域にかかわらず等しく、文化芸術を鑑賞し、これに参加し、又はこれを創造することができるような環境の整備が図られなければならない」として、権利実現のための環境整備が謳われています。このような文化芸術基本法第2条第3項の内容は、基本的には評価できる方向性ではありますが、条文の中の「鑑み(かんがみ)」という言葉遣いには、ずっと引っかかってきました。一体どこを鑑みているのだろうか、と。
例えば教育政策だったら、憲法第26条の教育を受ける権利の実現に向けて教育基本法が制定され、教育基本法のもとに個別の教育関連法が位置づけられ、教育法体系として教育政策を制度面から支えています。いわば、教育基本法が憲法第26条の人権を鑑みている構造です。文化政策において教育基本法に当たる存在が文化芸術基本法だとしたら、憲法第26条に相当する条文はどれなのか。
この問題を考えるにあたり避けて通れないのが、日本国憲法の条文で唯一「文化」という文言を用いた第25条第1項「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」です。もっぱら社会保障分野で言及される憲法第25条ですが、この条文をもっと文化政策に活用できないか、それが研究の出発点となる問題意識でした。
これまでの憲法第25条に関する研究は主に「生存権」として第25条をとらえていました。そこでは生活保護に代表されるような「経済的な側面に限定された生きる権利」について、憲法第25条でどのように規定されているか、さまざまな研究や議論が行われてきました。その一方で「文化的な」という文言はあまり注目を集めることはなく、「文化権」と結びつけた憲法第25条の考察もほとんど行われていませんでした。
けれども憲法に「文化的な最低限度の生活」と規定されている以上、第25条の「文化」を文化権としてとらえて文化政策に活かしていく可能性について、文化政策研究としてきちんと議論する必要があると考えたのです。
また、ここ数年のコロナ禍における「不要不急」の議論も、文化に大きく関わる問題でした。芸術分野の活動は「命には関わらない」と見なされ、思うようにイベントが開催できないなど、多くの制約を受けました。たしかに「直ちに」命に関わらない場面のほうが多いでしょうし、ゆっくり味わうという意味で「不急」でもいい場面もあるでしょう。しかし、はたして「不要」だと断言できるでしょうか。芸術や文化は、私たちの生活ひいては人生に深く影響を与えています。文化を人権に関わる問題としてとらえる文化権の理念をはっきり打ち出せれば、文化は「不要」ではないと言える根拠になるのではないか。それも研究を出版につなげていく動機につながりました。
私は、文化的な社会というのは様々な文化に触れることを通じた「素敵な偶然の出会いがある社会」だと考えます。一つひとつの偶然の内容や価値はそれぞれ違っていたとしても、総量として誰もが同じくらい、素敵な偶然に出会える可能性が高い社会であってほしいと願います。それが文化権の確立した社会と言えるかもしれません。
憲法第25条における「文化」の研究は、文化政策の核となる「文化権」の理念の研究です。博士論文をもとに書籍化できたことによって、文化政策の理論の精緻化をさらに進めることができましたし、それを「学会奨励賞」というかたちで評価していただけたことも、非常にうれしく思っています。
さらに、憲法学や社会保障研究をはじめとする従来の憲法第25条研究にはなかった新しい視点を提供できたという意味で、比較的新しい学問領域である文化政策研究・文化政策学の存在意義を、分野外の人にも広く示すことになったのではないかとも考えています。
博士論文の執筆は、2度の産休・育休と就職を挟んで、かれこれ10年ほどかかってしまいました。そこから加筆・再編集・推敲して単著として出版するまで、さらに数年かかっています。書籍化に至るまでに時間が空いてしまったので、内容や書きぶりが古くなっているのでは、と悩む場面もありました。しかし、コロナ禍を経て、構成を大幅に変更して書き下ろし部分を追加することもでき、結果として多くの人に届く書籍という形で出版できたこと、そしてそれが評価されたことは非常に喜ばしいことでした。
やめずに続けていれば成果をまとめることはできるし、それを評価していただける場があることがありがたかったです。この受賞が、私よりも若い世代の文化政策研究を志す研究者にとって、研究を継続する励みや後押しになることを願っています。
昨今注目されているSDGs、つまり持続可能な社会を築き上げる過程において、人権全般に関する関心が高まっている今日、貧困者や高齢者、障害者、子どもの文化的な生活、あるいは文化的な仕事をしている人々の労働権の保障や環境整備など、文化政策として考えるべきテーマは多岐にわたります。まだまだ発展途上の政策分野ですが、「ブルー・オーシャン戦略」(未開拓で競争相手の少ない市場)の研究領域とも言えます。研究のアイディアに困る心配はなさそうです。
学際的な研究領域である文化政策研究は、多様なものの見方が必要とされます。法学や行政学のような社会科学的な知見も重要であると同時に、様々な文化を知っておくことも大切です。今後この領域を目指す方には、美術館を訪れたり、素敵だなと思った映画をチェックしてみたり、地域の文化財に意識を向けてみることをお勧めします。青山学院大学はキャンパスが美しいと言われることが少なくありませんが、青山キャンパスには文化財保護法の定めた登録有形文化財の建造物も2つ(ベリーホール(法人本部)/間島記念館)ありますので、意識して見ていただけるといいと思います。
そうやって「素敵な偶然の出会い」にアンテナを張って日々を過ごすこと自体が、文化政策の研究にもつながっていくと思います。
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