私たちが生きている世界には、
身近なことから人類全体に関わることまで、
さまざまな問題が溢れています。
意外に知られていない現状や真相を、
本学が誇る教員たちが興味深い視点から
解き明かします。
多くの学生は、大学に入学して初めて会計に触れると思います。会計は、「計算して会わせる(合わせる)」と書くことから、どうしても「計算」というイメージが強いと思いますが、会計=計算かといえば、それは少し違います。会計にとって計算は目的ではなく手段です。会計は英語では“accounting”、“account for~”で「~に対して説明する」という意味ですから、会計とは、自分が行った事業活動の結果を説明するということを意味します。そのために簿記という手段を使って経済活動を記録します。つまり、計算をするのはあくまでも手段であり、それによって得られた数値をどう使うのか、あるいは社会でどう使われるのかを学ぶことが大切だと大学の授業を始める時に私はよく学生に話しています。単に計算をするだけではなく、その先にもっと大きな世界が広がっているということを、最初に知ってもらいたいからです。
私自身、大学に入って初めて会計学を学び始めたときは、やはり計算というイメージが強かったのですが、のちに大学院時代の恩師となる教授の著書に「会計とはビジネスの言語だ」と書かれているのを目にしたことで認識が変わりました。会計とはコミュニケーションのための言語であり、会計学とはコミュニケーションの学問なのだということが分かり、雷に打たれたような衝撃を受けたのです。この言葉に出会ってから、会計学が俄然面白くなり、かつ学問としての重要性や社会での必要性も理解できました。
会計学を学び始めた当初は、数字を当てはめていく作業自体はパズルのようで楽しかったのですが、3年生でゼミに入り専門的に勉強する中で、会計学は決して難解で硬いものではなく、柔らかさ、しなやかさを兼ね備えた学問であることに気づきました。ただ単に取引事実を仕訳するだけでなく、経営者の判断や意見がそこに含まれていることが次第に分かってきたのです。例えば、企業が研究開発費をいくらかけているか、どの事業部門にどのくらいの資源を配分しているかなど、企業経営者の思いがその数値には詰まっています。最近では、見積りが入った会計数値も多くなっていますが、そこには将来の予測も踏まえた企業経営者の判断がより多く含まれています。会計学とは、硬さと柔らかさを内包した学問であり、コミュニケーションツールとして社会の中で重要な役割を果たしている…。こうしたことを知ったことで、私自身も会計学をより専門的に研究してみたいと思うようになっていきました。
私の授業では、これまで、「会計とは、英語、ITと並ぶビジネスにおける三種の神器である」というテーマのもとに進めてきましたが、昨年からは、「VUCA時代におけるデータサイエンスとして会計を考える」ことを大きなテーマとして掲げています。
VUCAとは、変動性(Volatility)、不確実性(Uncertainty)、複雑性(Complexity)、曖昧性(Ambiguity)の頭文字です。もともとは軍事用語でしたが、2016年の世界経済フォーラム(ダボス会議)で取り上げられ 、社会経済の動向を表すキーワードとして注目を集めるようになりました。変動性とは、物事が定常的でなく、さまざまに変化すること。不確実性とは、物事の変化が予測できないことをいいます。複雑性とは、物事の変化の原因が一つではなく、複数の要因が絡み合っていることを指します。特に今般のコロナ禍においては、物事の因果関係がより複雑化していると考えられます。新型コロナウイルス感染症の拡大は医療的にはパンデミックと呼ばれましたが、同時に社会経済的な文脈ではインフォデミック(ネットを中心に不確かな情報が大量に拡散される状態)をもたらしたこともその一因といえるでしょう。そして、曖昧性とは、前述の3つの要因から、物事の因果関係や将来が不明瞭になることをいいます。
社会経済というマクロ的な視点では、地球温暖化や異常気象などの気候変動、トランプ前米大統領によるアメリカファースト(米国第一主義)、イギリスのEU離脱、そして、現在の新型コロナウイルス感染症の拡大などを考えてみれば、私たちがVUCAの時代に生きていることを実感できると思います。企業経営というミクロ的な視点で見ればそれはより明らかで、ITやAIの急速な進展はもちろんのこと、新型コロナウイルス感染症の影響によって産業構造そのものが大きく変わりつつあります。例えば、アメリカのGAFA(主要IT企業「Google」「Amazon」「Facebook」「Apple」の頭文字)や中国のBATH(中国の主要IT企業「Baidu」「Alibaba」「Tencent」「Huawei」の頭文字)といったメガテック企業が大きく成長する一方で、運輸、外食、エンターテインメントなど大きなダメージを受けている業種もあり、DX(デジタルトランスフォーメーション)への対応やコロナ禍での生き残り戦略の模索を余儀なくされています。
より長期的なスパンで見ても、企業の競争環境の激変ぶりには驚くばかりです。上場企業の時価総額ランキング*を見ると、1989年 、ちょうど日本が昭和から平成に変わった年は、世界時価総額ランキングトップ10のうち実に7社が日本企業でした。それから30年後の2019年 、時代は平成から令和に変わり、この年の世界時価総額ランキングトップ10のうち、7社が米国企業、2社が中国企業です。日本企業は最高のトヨタ自動車でも43位でした。
では、このようなVUCAの時代にはどのような力が必要でしょうか。必要な力はさまざまですが、私は特に「データサイエンス」を挙げます。データサイエンスとは、ここでは「データを科学的に解析する手法」と考えたいと思います。例えば、新型コロナウイルスの影響で業績が悪化したといわれる航空業界ですが、日本航空(JAL)の今年の会計数値を見ると、経営成績としては当然ながら赤字ではあるものの、企業の財政状態をきちんと見ると、この混乱期を耐え切るために資本の増強を図っていて、これからしばらく赤字が続いたとしても耐えられる財政状態にコントロールされていることが分かります。やみくもに不安を煽られる前に、目の前の数字、データをまずきちんと見て、正しく読み解くこと。これがデータサイエンスの基本です。
コロナ禍では、資金繰り、在庫回転率など、より一層、会計上のコントロールが必要になります。そうしてアウトプットされたデータを客観的に捉え、詳細に読み解いていく力がますます重要になると考えています。「会計とは、最強のビジネスデータである」。これが、私からのメッセージです。
*[STARTUP DB,「平成最後の時価総額ランキング。日本と世界その差を生んだ30年とは?」,2019,https://media.startup-db.com/research/marketcap-global]
冒頭に「会計とはコミュニケーションツールである」と述べましたが、これまで会計の分野では、売上高や利益など、数値データを中心に話が展開されてきました。企業は売上高や利益を上げることを経営目標とし、投資家もそれを達成できたかどうかで投資意思決定をしてきた経緯があります。ところが近年、数値以外のデータも重視されるようになってきました。その原因は大きく3つあります。1つは、企業価値を評価する際、実績としての売上高や利益だけでなく、その企業が持つブランド力など、無形資産を重視する傾向が強まってきたことです。2つ目はESG(環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance))など、利益だけでなく、環境や社会に対する貢献が企業に求められるようになってきたこと。そして、VUCAの時代には、足元の業績と今後の計画についてより詳細な説明が求められるようになってきたこと。この3つが挙げられます。
こうした従来の会計数値を超えたコミュニケーションが求められる背景から、近年、私はテキストマイニングという最新の手法を用いて企業の財務報告の研究を行っています。テキストマイニングとは、簡単に言えば、大量のテキストデータの中に埋もれている「意味のある情報」を自然言語処理という技術を用いて取り出すことです。「マイニング」とは、一般的には鉱山などで大量の土砂の中から希少な鉱物を掘り出すことを指しますが、テキストマイニングは、これをテキストデータに置き換えたものといえます。
テキストマイニングの手法を使えば、ツイッターであるワードを指定して特定のツイートを検出することも簡単にできます。例えば、「会計学」というワードを指定すると、今現在、この単語が含まれる100件のツイートを瞬時に取得することが可能です。これがテキストマイニングの第一段階で、次に自然言語処理に入ります。ここでは、取得したテキストを単語に分割する「形態素解析」という手法を用いてこの中からよく使われている単語を抽出し、その結果を可視化、ビジュアル化することが可能になります。つぶやかれた件数によって文字の大きさが変わってくるため、どのようなテキストが多くつぶやかれているのかが一目瞭然となります。
《「会計学」を含むツイートに含まれる単語》
こうしたテキストマイニングのツールを使って、私は共同研究者とともに2020年3月期決算短信におけるコロナディスクロージャーについて分析しました。新型コロナウイルス感染症の世界的な拡大が経営活動に深刻な影響を与え、また、今後の事業環境の不確実性を飛躍的に増大させていることを受けて、金融庁や証券取引所から、新型コロナウイルスが企業業績や資金繰り、経営戦略にどのような影響を与えるかについて充実した開示を行うことが企業側に要求されました。これに対して企業が財務報告においてどのような説明を行ったのかをテキストマイニングを使って分析しようと考えたのです。
2020年3月期上場企業のうち2,345社の決算短信を使って分析を行いましたが、ここでは決算短信のテキストから「共起ネットワーク」を作成しています。これは、単語と単語の組み合わせを分析し、どの単語と単語が組み合わされる件数が多いのか、それによってその単語同士がいかに密接に結びついているのかが分かるというものです。その単語間のつながりをさらに広げていくと一つのネットワークになります。これを分析することで話題の中心になっている単語がわかり、それに連なる単語との関係性も明確になります。
《2020年3月期決算短信を用いた共起ネットワーク》
新型コロナウイルスによって企業の売り上げが減少するのは当然として、その企業がこれからも存続していくための資金繰りがきちんとなされているのか、財政状態はどうなっているのかに企業はより多くの説明を割いていることが見えてきます。投資家にとっても「なるほど、こういう点に着目して企業の決算を読むべきなのか」ということがわかります。テキストを可視化することによって、経営者と投資家のコミュニケーションを円滑にする手助けになると考えられます。決算書は日本語で書かれているのだから、プログラミングを使わなくても文章を読めばいいじゃないかと思う人もいるかもしれませんが、2,345社の決算短信の総単語数は590万、総文字数は1,100万語ですから、人間がこれをすべて読むのは困難です。プログラミングされたコンピュータを使えば瞬時に読み込むことができ、かつわかりやすく可視化することができます。
また、テキストマイニングを使うことで、企業がどのようなトーンで説明しているのかも見えてきます。これを「セントメント分析」と呼びますが、例えばコロナ禍で、「減少」「不透明」「困難」「減速」といったネガティブな単語や不確実性の高い単語が目立つ一方、「強化」「改善」「安定」といったポジティブな単語も少数ながら特定の企業は発信しています。これは私の仮説ですが、新型コロナウイルス感染症の拡大以前から災害対策を踏まえたBCP(Business Continuity Plan 事業継続計画)をしっかり行っている企業は、不確実性の高い状況をきちんと分析し、それに対してポジティブに反応している可能性があることが、こうした分析から読み解くこともできるのではないかと考えています。
果たしてこうした研究が会計学といえるのかと思う人もいるかもしれません。しかし、会計学はコミュニケーションの学問であり、かつ、近年は数値以外のデータの重要性が増しています。非構造化データである言語を読むためには、プログラミングなどの技術も必要です。企業の発信するデータをより多面的に分析するためにも、テキストマイニングの手法は会計学にとって今後ますます有効になるのではないでしょうか。
私が自分の研究を通して伝えたいのは、学問をする楽しさ、研究をする楽しさです。大学は、既知の課題とその解決策を学ぶだけでなく、未知の課題を発見し、その課題に立ち向かう力を養う場所であると考えます。その時に私が重視しているのは「楽しさ」です。楽しいと思えなければ、継続はできません。
会計学の世界では、1960年代に入り、それまでの規範研究から実証研究へと大きなパラダイムシフトが起こったといわれています。規範研究とは、大雑把にいえば会計制度や基準は「どうあるべきか」を説明する理論を構築するアプローチです。実証研究は、経験的研究ともいわれますが、会計制度や基準は「どうあるのか」を説明する理論(仮説)を構築し、それを現実のデータを用いて検証するアプローチです。これ以降、実証研究がメインストリームとなり、既に50年以上が経過しています。私は、ITやAIを用いた研究が会計学に新たなパラダイムシフトを起こす可能性もあるのではないかと考え、現在研究に取り組んでいます。
では、今後はどうなるのでしょうか。私は、会計学は少なくとももう一段階の変化が起こるのではないかと予測しています。それは人間の「特性」や「感情」を考慮した研究領域です。今後、会計の世界に今まで以上にITやAIが導入されていくことは間違いありませんが、会計という言語を話す主体も人間であれば、それを聞く主体も人間です。人間の情報処理過程には、必ず感情が影響します。会計学は数値のみを扱う、無機質な学問だと誤解されることがありますが、前述した経営者のセンチメント(トーン)分析をはじめ、例えば年次報告書における経営者の写真やサインなどを解析して、その企業の業績などとの関連性を分析するというユニークな研究も行われています。膨大なビジネスデータから、その人らしさや感情をどう読み取っていくのかが今後はさらに問われていくかもしれません。
会計はビジネスの言語であり、数値だけでなく、自然言語も含めたビジネスコミュニケーションの学問へと発展しつつあります。さらにそれらは、ITやAIによってより一層突き動かされようとしています。これから、ますますエキサイティングな学問になっていくのではないかと楽しみにしているところです。(2021年6月掲載)