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未来を創るトピックス
ー 研究成果に迫る ー

青山学院大学の教員は、
妥協を許さない研究者であり、
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常に最先端の研究を行っています。
未来を創る本学教員の研究成果を紐解きます。

  • 教育人間科学部 心理学科
  • 掲載日 2026/10/20
  • 「何か」とは何か。見えない力「Any-ness」がひらく哲学の世界
  • 入不二 基義 教授
  • 教育人間科学部 心理学科
  • 掲載日 2026/10/20
  • 「何か」とは何か。見えない力「Any-ness」がひらく哲学の世界
  • 入不二 基義 教授

TOPIC

入不二基義教授が新著『何でもいい何かって何?─Any-nessの哲学』を2026年6月に出版

『何でもいい何かって何?─Any-nessの哲学』とは

2026年6月に青土社から出版された、入不二基義教授の新著です。
本書では、私たちが日常的に使う「何でもいい」「何か」といった言葉の背後にある考え方を手掛かりに、哲学の根本的な問いに迫ります。入不二教授は、「Any-ness(エニネス)」という、自らが考案した独自の概念を軸に、論理や時間、人称など、さまざまな哲学的テーマを新たな視点から探究しています。
<あらすじ>「論理、時間、様相、人称——あらゆる哲学的概念の奥底で働く見えない力、その原理としての Any-ness。哲学史がまだ正面から踏み込んでこなかったこの荒野を、いま初めて精密に探究する。入不二哲学の最深部、そして史上初のAny-nessの哲学へ。」(青土社HPより)


イラスト:矢印

トピックを先生と紐解く

入不二 基義教授

東京大学文学部哲学科卒業。同大学院人文科学研究科哲学専門課程修士課程修了、同博士課程単位取得退学。大学非常勤講師などを経て、1993年に山口大学教養部講師に着任し、1995年に同助教授。この間、スタンフォード大学CSLI客員研究員も務める。2004年、青山学院大学文学部心理学科助教授に着任。2007年に准教授、2008年に教授に就任。2009年の学部改組に伴い教育人間科学部心理学科に異動し、現在に至る。専門は、哲学(特に英米圏の現代哲学)。主な著書に、『あるようにあり、なるようになる ── 運命論の運命』(講談社・2015年)、『現実性の問題』(筑摩書房・2020年)、『問いを問う ── 哲学入門講義』(筑摩書房・2023年)、『現実性の極北──「現に」は遍在する』(青土社・2025年)、『何でもいい何かって何? ── Any-nessの哲学』(青土社・2026年)など。2008年、『時間と絶対と相対と ── 運命論から何を読み取るべきか』(勁草書房・2007年)により青山学院学術褒賞を受賞。

先生の専門分野について教えてください。

私の研究キャリアの初期である大学院生の頃は、英米圏の分析哲学・言語哲学、とりわけウィトゲンシュタイン哲学の研究に取り組んでいました。しかし、その後は既存の哲学を研究するだけではなく、自ら新たな哲学を構想し展開する探究へと軸足を移しました。現在取り組んでいるのは、「他人の哲学の研究」ではなく、私自身の哲学を創造するという意味で「入不二哲学」が専門分野ということになります。

「哲学をする」とは、哲学者や哲学書を対象とした二次的な研究のことではなく、自分なりの新たな哲学を創造する営みであると、私は考えています(「研究」は、「創造」のための素材を提供してくれる良きパートナーですが)。私自身の哲学への関心も、何か特別なきっかけや動機から始まったわけではありません。物心がついた頃には、すでに哲学的な問いを考えていました。その意味で、私にとっては「始めから」哲学があったわけです。

2020年に上梓した『現実性の問題』(筑摩書房)でも触れていますが、小学生の頃、遠くへ引っ越して会えなくなった友人と、亡くなってしまった知人を比べて、「もう会えない」「会わない」という現実があるだけという点では同じではないかと考えたことがあります。その問いを考えていたのが、小学生のときです。私にとって「哲学」は、「人生の中の数ある選択肢の一つ」ではなく、「人生そのもの」なので、いわば「天然哲学者(natural-born philosopher)」です。

現在取り組まれている研究テーマや新刊『何でもいい何かって何? ── Any-nessの哲学』について教えてください。

「現に」「何か」「実は」という3つの互いに絡み合う観点から、世界の根本的な構造を探究しています。

この本執筆以前の私は、「現に」と「実は」の関係について考察を続けてきました。哲学的な言葉で言えば、これらはそれぞれ「現実」と「実在」に関わるテーマです。しかし研究を進める中で、この二つをつなぐ重要な中間的要素があるのではないかと考えるようになりました。

今回出版した『何でもいい何かって何? ── Any-nessの哲学』は、そうした思索の過程で見えてきた「何か」さらに正確には「或る何か」と違う「何でもいい何か」、すなわち「Any-ness(何でも良いという不定性)」の働きを探究したものです。前著『現実性の極北』(青土社)を書き終えたとき、まるでその「中間」=「源泉」を掘り当てたかのように、Any-nessという概念の展開の様子が、私の中から怒涛のごとく湧き上がってきました。

本書では、論理、時間、可能性、人称といったさまざまな哲学的概念の背後で働く見えない原理としてのAny-nessに着目し、その働きを多角的に考察しています。

この「Any-ness」の哲学に向き合い始めたきっかけは何だったのでしょうか?

Any-nessの考察の原点は、中学校で学んだ英文法にあります。
英語では、「疑問文や否定文では、肯定文の some が any に変わる」というルールを学びます。私は中学生の頃にその説明を聞いて、「なぜ変えるの?」と疑問に感じていました。その後大人になってからも、予備校や塾で英語を教える機会がありましたが、教える側に立っても、自分自身が納得できる根本的な説明を見出せないまま、その疑問はぼんやり残り続けました。長年にわたり、「このルールについて、根っこのところで、何を理解しているのだろうか」という問いが、意識の底に残り続けていました。私自身の基本となる感覚では、「some」は「this」や「that」ほどではないにしても、定まった「特定」へと向かっている途中(傾向)であるのに対して、「any」はそこからさらに浮遊して自由になった「宙吊り」状態を表しているように感じていました。しかし、その違いを説明するために「解除」という言葉を使ってはいたものの、塾講師や予備校講師をやっていた当時は、そのメカニズムを十分に理解しきれていなかったのだと思います。今ならば、「ようやく分かった」と心の奥底から言うことができます。

「現に―何か―実は」を示す三項図式。『何でもいい何かって何?─Any-nessの哲学』p15より

哲学とは「すでに知っているつもりになっていること」を根本から問い直し、その背後で働いている「何か」を明らかにしていくために「問う」営みだと、私は考えています。そして、本書『何でもいい何かって何?──Any-nessの哲学』では、そうした問いの延長線上で、「何か」とは何か、「Any-ness」とは何か、その「何か」の働き方を探究しています。


「Any-ness」という概念について、私たちは日常の中でどのように考え、向き合えば良いのでしょうか?

私にとってのAny-nessの考察は、決して難しい専門的な知識から始まったわけではないことは、先ほどの「原点」が中学生の英語であることからも、分かります。

Any-nessは、私が提唱している概念で、ひとまずは「任意性」と和訳することができますが、この訳だけでは十分に捉えきれない広がりを持っていますし、その訳はミスリーディングですらあります。ですから、本の中では、「任意性」という訳を、最終的には(探究の最後のほうでは)捨てます。

「現に ── 何か ── 実は」という三項図式で述べたように、私にとってAny-nessは、「現実」と「実在」をつなぐ重要な概念です。『何でもいい何かって何? ── Any-nessの哲学』では、その意味と働きを、一冊を通して余すことなく考察しました。

もともと本書は、高校生にも伝わるような内容を目指して書き始めました(最初は、一般向けの新書を書くつもりで書き始めました)。しかし書き進めるうちに、結果としてそれには収まらなくなり、高度な哲学書としての色合いが濃い一冊になりました。そのため、高校生の皆さんが読んですぐにAny-nessを理解するのは簡単ではないかもしれません。でも、大学の授業では、本書を実際に使って講義をするので、少し背伸びをすれば読めると思います。Any-nessは、この世界に存在するあらゆるものの根底で働く概念ですので、ぜひ本書を通して入不二哲学に触れ、私たちが生きる世界のあり方について思考を巡らせてもらえたらうれしいです。

本書は「自動書記のように」わずか3ヶ月で書き上げられたと伺いました。

はい。本の書き方にはさまざまなスタイルがありますが、今回の執筆はこれまでとは大きく異なる体験でした。通常であれば、考えを整理し、試行錯誤を重ねながら文章を書き進めていきます。しかし今回は、思考が行き詰まったり、組み立てたりする感覚がほとんどありませんでした。むしろ、何かが向こうからやってきて、それをただただ書き留めているような感覚だったのです。自分自身が文章を書く主体であるというよりも、考えを受け取る「媒体」になったような感覚でした。朝のある時間になると、浮かんできた考えを書かずにはいられなくなり、まるで自動書記のように書き留めていく。そうした日々を重ねるうちに、わずか3カ月で本書の第一稿が出来上がりました。

その背景には、2023年に発症した脳梗塞の影響もあったように感じています。

脳の病気を経験したことで、事務作業のような普通の実務処理能力は以前よりかなり低下しました。間違えたり、混乱したりすることが、しばしば起こります。しかしその一方で、これまではそれらの日常の業務を遂行するために、適度なところで無意識的に抑え込んでいた哲学的思考に関しては、その「抑え込み」「制御」が緩み、あるいは外れて、哲学的思考においてのみ、病気以前よりも豊穣になりました。その結果が、今回の本の執筆です。脳の日常向けの「制御」の働きが壊れたことによって、むしろ長年抱えていた問いや発想同士が繋がって、溢れ出てきたのではないかと感じています。

思考が「向こうからやってくる」とは、どのような状態なのでしょうか。

哲学的に思考することは、一つの答えに向かって考えを絞り込んでいくことではなく、むしろ「隙間」をたくさん作り、そこに「何でもいい何か」を招き入れることだと、私は考えています。

今回の本を振り返ると、Any-nessという概念が、自分で専門的に勉強してきた領域(現代の英米哲学)だけでなく、古代ギリシャのストア派*や中世哲学とも深く通じていることに気付かされました。

さらに、私の父方の実家が、代々続くお寺であることも関係しているのか、特に学んだわけではない仏教哲学の要素まで、私の中に流れ込んでいて、どこかで「Any-ness の哲学」と結び付いているような感覚もありました。

つまり、自分がこの人生一代で学んだ知識だけではなく、遠い祖先たちをも含め、さまざまな思想や経験が自然とここに集まって、一つの形をとっていく。そんな不思議な感覚があったのです。まるで、「みなさん、ここに集まってきたのですね」と言いたくなるような感覚でした。私はこれを「霊媒師的な」感覚と呼んでいます。*ストア派:古代ギリシャ・ローマで発展した哲学の学派。理性に従って生きることを重視した。


そうした日常や学びの中で湧き起こる「問い」には、どのように向き合えば良いでしょうか?

学校の勉強や日々の生活の中で生まれる問題や問いは、その場ですぐに役立ったり、答えが見つかったりするとは限りません。しかし、もし何か少しでも心に「引っかかる」のであれば、無理に答えを出そうとせず、その問いを受け止めておくための「場所」や「余白」を自分の中に用意しておくことが良いと思います。

「この問いを忘れないようにしなければ」と意気込む必要はありません。問いの重要性は、自分で決めるものではなく、問いの側(向こう側)が決めてくれるものだからです。

残るべき問いは残り、そうでないものは自然と消えていきます。私自身が抱いていた「someとany」の疑問も、無意識のうちに持ち続けていたものが、何十年もの時を経て別の思索と結び付き、意識の表面へと現れてきたものでした。自分がどのような問いを抱えているのかは、必ずしも意識できるとは限りません。だからこそ、それが姿を現したときに気付けば良いのです。問いは、時が熟したときに思いがけない形で姿を現します。 皆さんには、その問いを受け入れられる「余白」や「構え」を育てるつもりで、まずは目の前の学びや経験に向き合ってほしいと思います。


今後、どのような研究を展開される予定ですか?

私は諦めが悪いので、本書の始まりの形であった一般向けの「新書」を書く試みを、諦めていません。「Any-ness」の哲学の全体像が見えてきた今、こんどはその到達点から振り返って、中学生・高校生レベルの英語や数学、そして大学初年次レベルの論理学をあらためて捉え直す本を書いてみたいと考えています。その構想は、『大学への哲学』という新書です。それ以外にも、到達した Any-ness 概念の方から振り返って、古代ギリシャ哲学(先ほどのストア派等)から、現代哲学へと至る「哲学史」を見直す本を書いてみたい。題して、『Some と Any で浚う哲学史 ── Any-ness の哲学2』です。


年を重ねていくことは、ある意味では幼い頃の感覚に立ち返ることでもあります。もう一度、中高生の視点に立ち返るために、中学生・高校生に勉強を教えてみたいし、さらに、まるで孫と遊ぶようなつもりで、哲学の問題に向き合ってみたいと思っています。実際に、私にはすでに二人の孫がいますが、言葉の喋り始めの頃というのはとても興味深く、彼らと「哲学的な言語ゲーム」ができて、遊んでいて楽しい。

また現在は、自分の脳梗塞の後遺症体験を哲学的に考察する『脳梗塞、のち哲学』も執筆・連載中です。この連載では、脳梗塞後の経験を、Any-ness哲学における「透明・半透明・不透明」という概念などとも結び付けながら考察しています。連載はすでに第2回までが、雑誌『kotoba』(集英社)に掲載されています。ぜひご一読願えるとありがたいです。また、連載終了後には加筆して、書籍化するつもりです。まだまだ本を書き続けます。

※掲載されている人物の所属や役職、研究内容は、
原則取材時のものです。

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