私たちが生きている世界には、
身近なことから人類全体に関わることまで、
さまざまな問題が溢れています。
意外に知られていない現状や真相を、
本学が誇る教員たちが興味深い視点から
解き明かします。
今、日本の英語教育に大きな変化が訪れています。2011年度から小学5・6年生に「外国語活動」が必修化、2012年度には中学校で「時間数・必修語彙数が大幅増加」、そして2013年度には高校で「授業を英語でする」という方針で、学習指導要領が改訂されているのを、皆さんはご存知でしたでしょうか。
日本人の英語力不足は以前から言われています。日本という国は内需があって、外国に出ていかなくても日本という島の中で十分に生活できてしまうことと英語力の低さは大いに関係があると思います。また受験科目として「英語」を勉強することで、文法や単語をたくさん覚えることはしてきたけれど、コミュニケーションのツールとして英語を学ぶことはしてこなかったことも大きな原因でしょう。
今までは、いい高校や大学に入るための受験科目の1つという位置づけでしかなかったように思いますが、これからは「英語でのコミュニケーション能力を身につけること」が、グローバル化が避けられない現代社会を生き抜くために必須となってきます。
英語ができると何がいいのか。漠然と英語ができると活躍の場が広がるのではないかと、誰もが考えると思いますが、例えばこんな例があります。修学旅行生を専門にしていた旅館が少子化などの問題でどんどんつぶれていく中、外国人をターゲットに変更した旅館が生き残っています。造りは昔の旅館のままですが、メニュー表示などを英語対応することで、旅館というビジネスが再生しているのです。自身が日本から一歩も出なくても、毎日、毎日、日本にはたくさんの外国人が来ています。外国に行かずとも、英語ができることはビジネスチャンスを広げることにもつながるのです。
また今、私は公立小学校で英語をボランティアで教えているのですが、その小6の教え子が自身の夢をこう発表しました。
「自分の家に図書館を作るのが夢です。だから英語を勉強します。たくさんの本を得るためには、英語を知らなければいけないからです」
その子は学校以外で特別に英語を習っているワケではありません。しかし「これから何かをするために、英語があるのとないのとは違う」と、これからの時代における英語の有効性を、子どもたちですら肌で感じ取っているのです。
2009年度から2年の移行期間を経て、2011年度に小学5・6年生の「外国語活動」が始まりました。しかしながら、国語・算数・理科・社会の主要科目の他、すべての科目を教える小学校の先生に、さらに英語を教えるという負担がのしかかり、また養成課程において英語を教えるという訓練を受けていない現小学校の先生にとっては、どう教えていいか分からないなど、様々な問題が浮かび上がり、解決されないままになっています。
そのような問題を解決するために、私たち児童英語教育学会(JASTEC)では、文部科学省にアピール文を出しました。大きく主張しているのは下記の2つです。
第一に「英語を教科として導入してほしい」。
「鶏が先か、卵が先か」と同じで、教員がいないと教えることはできないし、教科にしないと教員を養成できません。英語を教科として導入することによって、英語を教える教員を養成することにつながると考えています。
そして「英語導入を小学3年生からにしてほしい」。
アジア諸外国などでは、小3から英語学習がスタートしています。そのほとんどが教科として教え、中学校に入る段階では英語の基礎が身に付いている状況にあります。現状、週1で小5・6で行われている「外国語活動」の内容を小3・4で、そして小5・6では週2回とし、教科としてのスタンスを強くしてほしいのです。
上記の表のように、小学校での取り組みだけでも、日本の英語教育は諸外国に遅れをとっています。しかし今までしていなかったことを後悔するのではなく、これからどう英語教育を進めていくかを考えていかなければなりません。受験英語でもなく、一種独特な人たちができる言葉としてではなく、「英語」という言葉を使いこなせる人材を育成するための教育が必要です。
英語を使うことにより、言葉の違う人、つまり文化の違う人とどうコミュニケーションをし、どうやって意思疎通していくのか。日本人同士であれば「みなまで言わずとも分かり合う」という察する文化を持ち合っていますが、外国人が相手ではそうはいきません。言葉も文化も違う人とコミュニケーションするためには、まずは自分の考えをまとめ、自分の意見を発信することが大切なのです。
しかし、急に英語で話すとなると、なかなか自分の意見を言うことは難しい。日本人は「自分の意見をしっかり言う」という経験をあまりしてこなかったと思います。自分の意見を言うことをおこがましいと感じたり、恥ずかしいと感じたり。相手とは違う意見を言うことに恐縮したり、違う意見を言われることで人格を否定されたようにすら感じられる。日本の「言わずとも分かり合う」「行間を読む」という文化はとてもすばらしいと思いますが、日本人同士でさえ分かり合えないことも多々あるはずです。
「これからの日本人に必要なことは、自分の言葉で自分の意見を言うこと。」小さい頃から、親御さんが読み聞かせをしてあげたり、親が子どもの話をよく聞いて言葉をかけてあげる環境で育った子は、言葉の大きな土台ができています。
今、小学校で英語を教えていても、母語である日本語の土台がある子はやはり違うと実感しています。言葉の土台がある子どもたちは、ちゃんと話を聞くし、モノを考えようとする態度が身に付いている。さらに言語技術を磨けば、自分の意見を論理的に述べ、相手の意見をちゃんと聞き、さらにまとめて発表することができるようになるでしょう。
ここで興味深い研究を紹介します。筑波大学大学院の徳田克美教授らのグループが、子どもと童話・昔話との関わりを調査した結果です。調査結果によると、「桃太郎と一緒に鬼退治に行ったのは?」という質問に、平成2年の調査では3歳児は49%、5・6歳時は89%が正解しました。しかし20年後の平成22年では3歳児は22%、5・6歳時は50%と正解率が下がったというのです。
この結果を見ると、親御さんからお子さんに物語が語られていない現状が見えてきます。言葉を自分のものにするということは、お花が咲いていくイメージに似ています。地面の下で根っこがつながり合いながら、たくさんの言葉を栄養にして育ち、芽が出てお花が咲くときのように、言葉が外に出ていく。きちんと文脈がある言葉を栄養にすることで、言葉は育っていきます。言葉を学ぶときには、物語は大変効果的なのです。
私は小学生に「桃太郎」や「赤ずきんちゃん」などの昔話や童話を英語で教えています。小学生に「赤ずきんちゃん」はないだろうと思われると思いますが、「Little Red Riding Hood(赤ずきんちゃんの英タイトル)」はありなのです。子どもたちは物語が分かっているので、初めての単語やたくさんの文章であっても「分かった」と感じてくれます。そしてそのうち物語に出てきたフレーズを使い、言葉遊びをし始めながら、自分の英語「My English」を築いていくのです。また子どもの学習者には、右記のような英語絵本もオススメです。子どもだけでなく、中・高校生や大人になっても、昔話や童話などで英語を学習することは有効だと思います。
小学校の先生方の研修でのことです。私がフランス語で自己紹介をしたときはポカンとしているけど、英語で自己紹介すると皆さん分かってくれます。確実に、日本人の誰もが自分の英語を持っているからです。中学で3年間、高校まで考えれば6年間、英語を勉強してきたことは決して消えません。「英語力が足りない」とないほうばかりを見がちですが、あるほうにも目を向けてほしい。すでに皆さんの中には自分の英語「My English」があるのです。
これからはMy Englishをいかに使うか、いかに育てていくかを考えてほしいと思います。もう英語を「ペラペラ」話すという概念は捨ててしまいましょう。まずは、自身の持っているMy Englishを声に出して発していくこと。口を動かし話さなければ、スピーキングは伸びませんし、発音も良くなりません。あとは間違えたり、通じないことを恐れずにどんどん話していく「度胸」。そして、間違えたり通じなかったときに対応できる「しなやかさ」。この「度胸」と「しなやかさ」を持ち合わすことが、My Englishを育てていく秘訣です。
また今後は、ネイティブよりもノンネイティブ同士、例えば中国人や韓国人と英語でコミュニケーションをとる機会が絶対的に多くなるでしょう。それぞれの国でのなまりもありますから、ネイティブと話しているときより集中して聞き、相手にどう言えば伝わるかをより考えて話すことが必要になります。実はノンネイティブ同士で話すときは、お互いの誤解が少ないという研究結果が出ています。それはお互いが歩みよってお互いを知ろうとするために、理解できるまで話し合っているからでしょう。
母語ではない言葉を学ぶということは、自分ではない他者について考える力をも養います。これは1つの言葉しか持たない人間には、なかなか難しいことです。言葉と文化が違う人たちと、「I」ではなく「You」でもない「We」を作るために、My Englishで「ガツンゴツン」と意見をぶつけ合い、しなやかな態度で相手と向き合う力を身につける。これから英語を学ぶ人、再度英語にチャレンジしようと考えている人には、ぜひMy EnglishでGood Communicatorになることを目指してほしいと思います。
(2013年掲載)