私たちが生きている世界には、
身近なことから人類全体に関わることまで、
さまざまな問題が溢れています。
意外に知られていない現状や真相を、
本学が誇る教員たちが興味深い視点から
解き明かします。
東海道新幹線開業50周年、北陸新幹線開業、リニア中央新幹線の着工など、このところ、鉄道に関する話題がにぎやかです。また、省資源や地球環境保全への関心が高まるなか、エネルギー効率の良い「クリーンな輸送手段」とされる鉄道を再評価する機運も高まってきています。2016年春には北海道新幹線も開業予定。さらに今年1月には、北海道、北陸、九州の整備新幹線を前倒して開業させることを政府・与党が正式に決定しました。
モータリゼーションが米国以外でも顕著となった20世紀後半には“滅び行く19世紀の遺物”とすら言われた鉄道の将来は、今世紀に入って思わぬ好転を迎えたように見えます。こうした動きを背景に、最近では「鉄道復権論」「鉄道復活論」を耳にすることも多くなってきました。
しかし私は、こうした“鉄道バラ色論”は幻想にすぎないと考えています。人口減少時代を迎えて輸送量が減少し、縮小を余儀なくされる鉄道には、日本の高度経済成長を支えた“往年の陸の王者”として、静かな余生を過ごしてほしいと思っているのです。
今後の鉄道のあり方について考えるとき、まず私たちは、「鉄道は“すき間産業”である」という現実を直視しなければなりません。ここでは、皆さんにも身近な旅客輸送について、鉄道と、自動車や飛行機といったそれ以外の輸送手段とを比較しながら考えてみましょう。
まず、比較的近距離を移動する際の利便性において、鉄道は、自宅やオフィスから目的地まで運んでくれる自動車にはかないません。大都市の通勤で、主に鉄道(やバス)が使われているのは、大多数の人にとって代替手段のコスト(駐車場代、タクシー代など)が高すぎるためです。だからこそ、土地の値段が安く駐車場が(ほとんど)タダで使えるようなところでは、自動車通勤が当たり前になっています。大都市においても、コストを負担することのできる少数の人は、鉄道ではなく自動車を使って通勤しています。鉄道会社ですら、社長などの最高幹部は運転手つきの社用車で通勤しているのです。多くの利用者は好んで鉄道を利用しているのではありません。「移動するという目的」のため、コストとの兼ね合いで「やむを得ず鉄道を選択している」にすぎないのです。
また、遠距離移動の際のスピードにおいては、飛行機に太刀打ちできません。空港から都市中心部へのアクセスの利便性にもよりますが、鉄道で3時間以上かかる数百キロ以上を移動しようとする場合は、鉄道大国日本においても、飛行機が第一の選択肢です。現在、新幹線列車で最も移動距離が長く(1,200km)、時間がかかる(5時間)のは、東京~博多間の「のぞみ」です。しかし、東京~博多間の移動で新幹線を使う人の割合は1割未満。つまり9割以上の人が飛行機を利用しているのです。
便利さでは自動車に負け、スピードでは飛行機にかなわない……そんな鉄道が生き残っていくためには、自動車と飛行機のすき間に活路を見出すしかありません。ただし、すき間であるからといって、その規模が小さいとは限りません。利用者にとってはやむを得ない選択であったとしても、鉄道事業者にとって有利な条件があれば、鉄道のシェアは「すき間」という言葉がふさわしくないような大きさになります。そして、旅客鉄道の分野において、その条件が成立している世界でも数少ない国、それが日本なのです。
では、日本に特有の“鉄道旅客輸送に有利な条件”とは、いったい何でしょうか?
それは、「大都市への人口集中」です。日本には、東京・大阪・名古屋の3大都市圏のほか、北は札幌から南は福岡まで数多くの大都市が存在し、そこに人口が集中しています。そのため、前述したような理由から、国民の大半は好むと好まざるとに関わらず、日常の移動(特に通勤)に鉄道を使わざるを得ません。
加えて日本では、幅わずか数十キロ、長さ500キロの「東海道」という帯状地帯に3大都市を中心とする都市が数珠つなぎとなり、世界に類をみない産業・人口集積地を形成しています。そのため、容量に限界がある飛行機では運びきれない大量の「都市間中長距離移動ニーズ」が存在するのです。
こうした背景から、日本には、世界屈指の大輸送量を誇る鉄道輸送市場が3つ存在します。首都圏・関西圏の都市圏内輸送、そして東海道新幹線を利用した都市間輸送です。その輸送量を、データを使って見てみましょう。
交通機関の輸送量を示す重要な指標に「輸送人キロ」があります。これは、運んだ旅客数(人)にそれぞれが乗車した距離(キロ)を乗じたものの累積を指します。日本の「鉄道輸送人キロ」は、現在、1年間に約4000億人キロ(うちJRは約2500億人キロ、JR以外が約1500億人キロ)です。
図1は、2012年度の日本の全鉄道輸送量(億人キロ)と営業キロのシェアを、JR3大市場(首都圏・関西圏・東海道新幹線)、大手私鉄15社、地下鉄と「その他」に分けて表示したものです。これを見ると、営業キロでは全体の4分の1を占めるに過ぎない5つのカテゴリーが、輸送量では約8割のシェアを占めていることがわかります(なお、大手私鉄に含まれることの多い東京メトロは「地下鉄」として計上しています。地下鉄輸送量の半分は東京メトロが占めています)。
つぎに、輸送効率を測る指標「輸送密度」の面から見てみましょう。輸送密度とは、その路線を走る列車に乗って通過する利用者が何人いるかを示す値で、「鉄道の事業性を理解するカギ」とも言える指標です。「1日あたり輸送密度1000人」といえば、1日の上り下り列車両方合わせて、路線平均で1000人の利用者が乗っていることを意味します。
図2は、市場カテゴリー別に輸送密度を比較したグラフです。これを見ても、日本の旅客鉄道需要が、いかに首都圏、関西圏、東海道に集中しているかがわかるでしょう。逆に言えば、それほど人口が集中していない地域では輸送量・輸送密度とも低く、東海道以外すべての新幹線を含み日本の鉄道営業キロの4分の3を占める「その他」の輸送密度は1万人程度にとどまっています。
言うまでもなく、鉄道の最大の特性は「大量輸送」です。したがって、人口減少社会では、鉄道が活躍できるすき間はしだいに狭まっていきます。今まで鉄道がその特性を発揮できた場所でも、鉄道以外の輸送手段に任せて撤退するほうが社会的に望ましいケースは確実に増えていくのです。
東海道新幹線建設に従事し、昭和40年代には国鉄の最高幹部の1人であった角本良平監査委員は、1968年に公刊した『鉄道と自動車』のなかで、すでにこう述べています。
「鉄道が普及した段階で自動車が出現したため、今日の鉄道の使命は陸上交通のすべてを担当することではなくて、自動車よりもコストの安い輸送、あるいは鉄道の方が自動車よりもはるかにすぐれたサービスを提供できる輸送に限定される。鉄道路線をこの範囲に限定することによって、かえって鉄道の輸送内容を充実し、国民生活に役立たせることができるのである。過去の古い鉄道への執着はこの際一掃されねばならない」
今こそ、鉄道経営者には、非情な「選択と集中」が求められているのです。
前項で「選択と集中」の必要性について述べましたが、私は「コスト割れの路線はすべて廃止せよ」などというつもりはありません。例えば、中高生の通学輸送など、税金を投入してでも輸送サービスを提供しなければならないケースがあることは言うまでもありません。
従来、赤字ローカル線をバスに転換しようという議論において、常に問題点として指摘されてきたのが、「スピード」と「時間の正確さ」でした。この問題点を解消できる有望なアイデアがBRT(バス・ラピッド・トランジット=バス高速輸送機関)です。
BRTとは、専用の道路やレーンを走行するバス交通システムのこと。バスの柔軟性と都市鉄道の利便性を兼ね備え、建設コストも安価というメリットがあるため、世界各地で実用化されているシステムです。日本ではJR東日本が、東日本大震災で津波被害を受けた気仙沼線などの復旧の代替案として導入しているので、ご存知の方も多いでしょう。線路跡をバス専用道として使うため、渋滞知らずで、高い定時運行性と高速性が確保できます。もちろん専用道を外れて一般道を走行することもできるので、学校や病院など、利用者の多い地点まで乗り入れることも可能です。
このように、従来と同様、またはそれ以上のサービスを低コストで提供できるのであれば、鉄道にこだわる理由はないし、こだわるべきでもありません。今後は被災地に限らず、その他の低利用路線(輸送密度1日2000人未満)も通常のバス輸送あるいはBRTに転換することを第一に考えるべき。これこそが21世紀型地域交通再生の望ましい姿だと考えます。
世の中には、公共性の観点から必要とされるさまざまな要求があります。一方、私たちが利用できる人的物的資源には限りがあります。どの要求を優先するか、またその要求をいかに実現するかは、たいへん難しい問題です。しかし、私たちは「効率性」から逃れることはできないのです。効率を無視したからといって、この“冷酷な美女”は私たちを放っておいてはくれません。「非効率による生活水準低下」というかたちでの復讐が待っているだけなのです。
鉄道は、一度線路を引いてしまうと変更が困難で、線路幅を変えることさえ容易ではありません。要するに柔軟性に欠けます。それに対して、自動車や飛行機の機材・ルート変更ははるかに容易で、需要変動に対し高い対応能力を持っています。
さらに、鉄道は自動車や飛行機に比べ、維持管理に莫大なコストがかかります。発展途上国でも自動車と飛行機利用は普及しています。しかし鉄道は維持管理が大変なため、日本からの技術協力で作られたものを含め、途上国では設備の状態が悪化し、本来の機能を十分果たせていないケースが多いのです。
今後の旅客輸送は、「自動車と飛行機でカバーできないところのみ鉄道が分担する」というのが基本であるべきです。税金を投入してでも旅客輸送サービスを提供しなければならない場合、それは「輸送すること」に公共性があるのであって、特定の輸送手段に公共性があるわけではありません。
鉄道復権のまぼろしに惑わされて過大な期待をかけるのではなく、かつての「陸の王者」に敬意を表し、すき間産業となった鉄道を“公共性の呪縛”から解放して、静かな余生を送らせるときが来ているのではないでしょうか。
(2015年掲載)