AGU RESEARCH

世界を解き明かすコラム
ー 研究者に迫る ー

私たちが生きている世界には、
身近なことから人類全体に関わることまで、
さまざまな問題が溢れています。
意外に知られていない現状や真相を、
本学が誇る教員たちが興味深い視点から
解き明かします。

  • 法学部
  • フランス発「つながらない権利」をふまえた
    ウィズ・コロナ時代の新しい働き方とは
  • 細川 良 教授
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テレワークが「働く時間」の概念を変えた

オンラインで業務を進めるテレワーク自体、世界各国では既に普及しつつあり、日本でも2018年頃から国がより一層の促進に力を入れ始めていました。2020年の東京オリンピックを見据えて交通渋滞を緩和させたいねらいもあってのことでしたが、コロナウイルス感染拡大という不測の事態によって図らずも急ピッチで進むことになったのです。もちろん前提として、職種や職場環境によってテレワークができない、あるいは向かない仕事があることは確かですが、この状況を機に各企業でテレワークの普及が進んでいることは間違いありませんし、今後も広がりを見せるだろうと考えられます。

 

テレワークが進むことによって、私たちの働き方は大きく変わりましたが、その最たるものが「時間」です。これまでのように定時にオフィスに行き、仕事をして帰社する、というサイクルから自由になり、自宅であろうとサテライトオフィスであろうと、場合によってはカフェやホテルなどでもパソコンと通信環境さえ整っていれば業務ができます。時間にしばられた従来の働き方から、より自由に、柔軟な働き方へとシフトすることになります。

これは一見、とても良いことのように思えますが、一方で業務時間を自分でコントロールする必要があるため、まじめな人ほど長時間仕事をして疲弊してしまう危険性もあります。従来は、オフィスにいて勤務時間が決められていたため、「今日の仕事はここまで」と区切りをつけることができましたが、テレワークになると、やろうと思えばいくらでもできてしまうので、気づかないうちに過剰に仕事をしてしまうこともあり得ます。また、仕事とプライベートの区別がつきにくくなるため、体や心が休まらずダメージを受けてしまう心配もあります。

なぜフランスで「つながらない権利」が生まれたのか

こうしたことも踏まえて、いま着目されているのが、「つながらない権利」です。フランスでは2016年の改正労働法に「つながらない権利」が盛り込まれ、業務時間外に会社から仕事の連絡があっても労働者側がそれを拒否できるなど、企業においてインターネットの普及にともなう長時間労働や過重労働を防ぐルールづくりが進んでいます。

 

「つながらない権利」は、もともと2002年にパリ第一大学のジャン・エマニュエル・レイ教授が提示した概念で、当時普及し始めた携帯電話などの新たなテクノロジーによって人々の働き方がどのように変わるのかという問題意識に基づくものでした。2010年代に入ると、スマートフォンの普及も追い風になり、この問題提起はフランス全体でより広まっていくことになります。フランス人はもともとプライベートを重視する国民で、バカンスを平気で数週間もとるくらい、仕事とプライベートをはっきりと線引きします。テクノロジーの発展によって、オフィスを離れようがバカンス中であろうが仕事の連絡が頻繁に入るようになることへの拒否反応から、こうした議論が始まったといえます。

この議論の背景にはもう一つ、フランスの労働市場でホワイトカラー化が急速に進んだことも挙げられます。従来、フランスではエリート層とノンエリート層が明確に二分されていて、エリート層は昔から寝る間も惜しんでバリバリ仕事をする一方、ノンエリート層はいくらがんばって仕事をしても出世できるわけではないので、定時になったらすぐに帰るのが一般的でした。ところが近年、テクノロジーの発展とともに中間層のホワイトカラー化が進んだことで、がんばって働けば出世できるかもしれない、管理職になってそれなりの報酬が得られるかもしれないと考える層が増えてきました。

 

これによって、過重労働はエリート層固有のものではなく、多くの労働者に共通の問題になったのです。バカンス中にもインターネットとつながって仕事をするという、従来のフランスでは到底考えらなかったような光景が生まれ、過重労働や、それにともなう健康と精神への被害も懸念されるようになります。こうした背景を踏まえて2016年に法制化された「つながらない権利」ですが、ルノーやプジョーなどの大手企業では、2013年頃から独自に社内のしくみとして既に取り入れており、先行する企業の取り組みを法制度が後押しする形となりました。

 

フランスにおいて、テクノロジーの発展によって個人のプライバシーが浸食されることへの拒否感から始まった「つながらない権利」の議論は、ホワイトカラー化の拡大によってノンエリート層の過重労働の問題へと進み、現在は「テクノロジーとどう関わるべきか」という問いへと発展しています。どういうことかというと、「仕事中であってもインターネットと常につながっている状態は良くないのでないか」という議論です。私も朝、研究室に来て、いざ仕事に取り掛かろうとパソコンを立ち上げると大量のメールが届いていて、その返信に追われているうちにどんどん時間がなくなっていく、という経験があります。本来、業務の効率化を図ることが目的のテクノロジーが、仕事を妨げ、生産性を下げているのだとすれば本末転倒です。

 

いまフランスで起こっている「つながらない権利」の議論は、「職場から離れたらインターネットとつながらない」だけではなく、「仕事中にもつながらない時間を設けるべき」という次の段階に来ています。ただし、これは世代によっても認識が異なり、若い世代になると、逆に「つながっていないと不安」と考える人が増えている可能性もあります。こうしたことも含めて、それぞれの世代がインターネットなどのテクノロジーとどのような距離感を保つのが良いのかを模索しているのが現状だといえます。

日本でも「つながらない権利」の法制化は必要か

フランスで法制化された「つながらない権利」は、その後イタリアでも法制化され、欧米からアジアへと広がりつつあります。しかし、フランスでも、一律に「〇時から〇時まではインターネットにつながらないようにしてください」という法規制は現実的ではないため、「各企業に合った取り組み方で進めてください」という制度になっています。もし日本で「つながらない権利」を法制化するとしても、同じようなしくみにならざるを得ないのではないかと思いますが、こうした法律自体はあったほうが良いと私は考えます。

 

テレワークは、そもそもインターネットにつながっていることが前提ですから、職場と家庭、仕事とプライベートの境界があいまいになることは避けられません。また、働く側だけでなく、管理職など、働く人を管理する立場の人が、テレワークでどのように社員の仕事ぶりを評価すべきかなど、さまざまな課題もあります。こうした課題をクリアするためにも、法制化による指針は必要だろうと考えます。労働法は、残念ながら厳格には守られないこともしばしばある法律です。しかし、それがあることで一つの目安になる、あるいは抑止力になるという意味でも果たす役割は小さくありません。今後、日本でも「つながらない権利」が法制化されれば、それが一つのガイドラインとなり、前向きに取り組もうと考える企業にとっての目安になるのではないでしょうか。

 

労働法の中で最も基本的なものに「労働基準法」があります。この法律は、働く際の最低基準、ギリギリの最低ラインを定めるものです。つまり、ガードレールのようなもので、「ここから外れるのはさすがにダメですよ」ということを示すもの。その上で、各企業でより良い方法を模索してくださいというのが基本的な考え方になります。ところが近年は、社会が多様化し、変化のスピードも早い状況の中で、たとえば「働き方改革」などが典型的ですが、「これからの時代はこういう方向に進まないといけないよね」という一つの方向性を示す役割が求められ始めているのではないかと思います。もう一つ、「紛争解決」というテーマも重要です。何かトラブルが起きたときに、その解決のための指針を示すこと。これもこれからの時代の労働法が担うべき役割だと考えられます。

法学とは「真実は一つじゃない」ことを知る学問

ここまで、「つながらない権利」をテーマに新しい働き方と法のあり方について見てきましたが、少し視野を広げて、これから法学を学ぼうと考えている人に向けて、法学という学問の面白さをいくつか挙げてみたいと思います。とある「体の小さくなった探偵が活躍するアニメ」の中で「真実はいつも一つ」という決めセリフがありますが、法学は「真実は一つじゃない」ということを知る学問だといえます。法律の世界で争い事を扱う場合、どちらにも言い分があるケースが大半で、どちらか一方が100%正しいということはほとんどありません。ある一つの事象に対して、立場によってさまざまな見方があり得るということが最も端的に表れるのが、法学という学問だと思います。

 

いろいろな見方がある中で、どれを選ぶのか、なぜそれを選ぶのかというときに、「自分はこれが正しいと思う」「社会はこうあるべきだと思う」という自分自身の価値観が立ち現れる。ここが、法学を学ぶ上で最も面白いところです。私が労働法を研究するようになったのは、商法と並んで、法学の中でもより生々しく人間の本質が見える学問だと考えたからです。「人とは何か」「社会とは何か」を知るうえで、この分野の研究はうってつけでした。

 

また、法学とは、人があることを実施したいと考えたとき、それを正当化するためのプロセスだともいえます。前例がないことを通したいと思ったときに、そのままズバリの前例はなくても、似たような例を持ってきてなんとか正当化できないか、と考えるのが法学的思考です。誰かを説得するときに、単に「私はこう思う」だけではなく、前例を引っ張ってきて、誰がどう見ても正しいと思えるような説得力をもって提示する。これはみなさんが社会に出たときに、たとえば組織の中で何か起案をしたり、プレゼンテーションをしたりする場合にもとても役に立つ技術だろうと思います。

 

そもそも法律はなぜ必要なのでしょうか。古代の世の中では、みんなが同じ価値観で生きていたので法律などなくても構わなかったわけですが、価値観の違う人たちが同じ社会の中で暮らすようになると、「ひとまずこういうルールでやりましょう」という目安が必要になる。法律というのは、そういう意味では人と人とのコミュニケーションのためのツールなのです。

 

法学の世界の人間は、「真実は一つじゃない」という価値観で生きているので、意見の対立が起きたときに、それぞれの言い分を立てながら、ちょうどいい落としどころを見つけることも得意です。これから社会がますます多様化、複雑化する中で、出自や価値観が異なる人たちとどう関わっていくべきか、それを知るためのコミュニケーションツールの一つだと考えると、これからの社会において、法学はとても重要な学問だといえるでしょう。(2021年1月掲載)

あわせて読みたい

  • 「ICTが「労働時間」に突き付ける課題 : 「つながらない権利」は解決の処方箋となるか?」 細川良著 日本労働研究雑誌61巻8号41頁以下(独立行政法人労働政策研究・研修機構:2019年)
  • 「私たちの"働き方"のゆくえ ポジティブ・オフ : 働き方と休み方の今後を考える」 久保智英著 賃金事情2755号42頁以下(産労総合研究所:2018年)
  • 「テレワーク再考 : 雇用型テレワークの実態と課題の理解に向けて」 池添弘邦著 季刊労働法 264号47頁以下(株式会社労働開発研究会:2019年)
  • 『エンドレス・ワーカーズ―働きすぎ日本人の実像』 小倉一哉著 (日本経済新聞出版:2007年)
  • 『「休暇」労働法の研究―雇用変動のなかの休暇・休業・休職』 野田進著 (日本評論社:1999年)

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法学部

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