私たちが生きている世界には、
身近なことから人類全体に関わることまで、
さまざまな問題が溢れています。
意外に知られていない現状や真相を、
本学が誇る教員たちが興味深い視点から
解き明かします。
私の専門は確率論、数理ファイナンスです。数理ファイナンスは、数学的手法によって金融に関する問題を解明しようとする分野であり、確率微分方程式を使って、主に金融市場を分析しています。
確率微分方程式とは何かという話の前提として、まず、微分方程式というものがあります。自然現象や社会現象は何らかの規則性をもって動いているため、その規則性を見出して、モデル化することで、将来を予測することができます。そのモデルの表現方法が微分方程式です。しかし、予測は完全なものではなく、実際の現象には一定程度の“ブレ”(不確実性)が生じます。確率微分方程式は、確率的に加わるこの“ブレ”を微分方程式に組み込んで計算するもので、数理ファイナンスの世界では確率微分方程式を使って、将来の株価を、ブレを含めて予測する数式・数理モデルを構築します。身近な気温を使って説明すると、例えば、10年後の東京の8月の平均気温を30℃と予測したとします。しかし、ぴったりその通りにならない以上、その予測の“ブレ”が大事になってきます。ブレが±2℃であったら、平均気温は30℃±2℃で、28℃~32℃ということになり、猛暑に備えなければいけない人は32℃に備えれば良いということになります。ブレなしの30℃だけでは、それを上回る暑さに備えることも、具体的にどのくらいの気温の変化に備えればよいのかは分かりません。
数理ファイナンスは、確率微分方程式を用いた金融動向の分析により人々の資産形成に資する分野であり、50年ほど前から研究が進んできました。株の売買を行っていると、長期的にはプラスに動く傾向があったとしても、短期的にはそこにさまざまな不確実要素が加わり、得する時もあれば損する時もあります。そこで、例えば10年後の株価は4万円、ブレが生じたとしてもプラスマイナス1万円だろうと予測が立てば、投資家はリスクに備えることができるでしょう。売買行動の背景にある資産を増やしたいという思いは多くの人に共通していおり、多くの投資家は合理的に行動するため、かえって自然現象よりモデル化しやすく、確率微分方程式による分析の精度が高い分野と言えます。
確率微分方程式では、物事の動向を規則性から見いだせる“傾向”と“不確実性(ブレ)”という2つの側面から分析します。“傾向”は短期的な動きとしては小さいが長期的には着実に進行し、“不確実性”は短期的な動きは大きいが、平均0で長期的には打ち消しあって影響が小さいという性質があります。この2つの側面からのアプローチは金融動向の分析以外にも、さまざまな現象に応用できます。気候変動を例にとれば、地球温暖化は少しずつ着実に進んでいますが、毎年の天候を見ると暑い年もあれば寒い年もあります。長期的な傾向として温暖化が着実に進んでいるというのが傾向であり、短期的な天候の変動は不確実なものとしてそこに加わる要素(=ブレ)であると言えるでしょう。
確率微分方程式で表したものは、数値シミュレーションをすることができます。地球温暖化の進行を予測・グラフ化してみると、着実に右肩上がりに進んでいくが見え、おおまかな予測値を示します。そこに不確実な要素が加わると、中心線の上下に一定程度の幅が生まれるわけです。その幅をより、将来における最良のケースと最悪のケースを想定できるようになり、具体的な方策を立てやすくなります。
シミュレーション例の図
数理ファイナンスにおいて株価の動向を考えると、長期的で着実な傾向は比較的算出しやすいのですが、短期的な不確実性の算出は難易度が高い問題です。不確実性のもととなるパラメータをボラティリティと呼び、株の売買を行う人々が将来に不安を感じているとボラティリティは拡大します。私は、近年浸透してきたAIの自動株取引もボラティリティ拡大に少なからず影響を及ぼしていると推察しています。AIは取引データ等に基づいて躊躇なく売買を進めるため、「誰かが買ったから自分も買う(売ったから売る)」と追随する行動が増えると考えられるからです。このような情報カスケード※とも言える行動が広がっていくと、ボラティリティの急拡大(株価の大変動)を引き起こし、バブル経済や金融危機を招きかねません。また、AI(人工知能)が似たようなアルゴリズムによって、似たような売買行動をとることで、結果的に追随に近い行動になってしまうことも考えられます。
研究においては、人々の心理・行動メカニズムを分析してボラティリティの予測精度を高め、株式市場の過剰反応を抑制できるような指標を提示したいと考えています。具体的には、実際に株を売買している人々に、取引の際に注意すべき事柄やポイントをレクチャーしたり、金融当局に対して、ボラティリティを見極める判断材料として特定のデータを公表してほしいと訴えたりして、不確実性の適正範囲内への抑制をめざしています。金融当局から公表されるデータが増えれば、その分、ボラティリティのメカニズム解明が進み、適正な揺れ幅が見えてきます。誰かが何らかの理由で株を売り始め、情報カスケードが起こり、さらにAIによる売買が拍車をかけて株価の暴落が進み、企業倒産につながるといった事態を食い止められるでしょう。株式市場が情報カスケードのような主体性のない売買に支配されるようになると非常に危険です。個々の判断に基づく多様性をもった売買を促し、株価の変動を長期的で着実な傾向を示す中心線に近い適正な範囲に収める、つまり、誰もが正確な情報をもとに冷静に判断して売買するという本来あるべき姿に補正していく必要があるのです。
具体的な研究の進め方としては、大量の株取引の超短期データから、ポラティリティと追随行動との関係性を探り、公表されているボラティリティを適正な水準に補正する手順を構成しています。今後さらに分析を進め、将来の金融市場の安定化につながる成果を得たいと考えています。
※情報カスケード…十分な情報にもとづかず他者を模倣する行動が繰り返され、広がっていく現象。
青山学院大学には、金融を専門とする先生方が学部の垣根を越えて連携する「青山ファイナンス研究会」があります。定期的に研究発表会を開催して意見を交わしており、各々の研究に生かすことはもちろん、他大学の先生も交えた共同研究に発展するケースも珍しくありません。前述の追随行動を短期的視点から観察するという方向性は、研究会の先生方との議論から確信を得て踏み出したものであり、そこから研究が加速度的に進展しました。また、研究過程では金融業界の最前線で働く方々の肌感覚が重要だと感じており、勉強会に参加されている証券会社のトレーダーの皆さんから現場の話を聞ける点も大きな楽しみになっています。理論は万能ではありません。理論だけではとらえきれないファクターを学べる貴重な機会であり、現場の皆さんの話は情報の宝庫だと言えます。思いがけないヒントをいただくこともあり、ありがたい限りです。
私自身は数学者ですが、現在の立ち位置はほぼ経済学者と言えるでしょう。数理ファイナンスというのは数学と経済学の中間に位置する分野ですが、私は近年、より経済学に近い分野を扱うようになっています。厳密な理論の世界である数学に対し、経済学が扱う現実の社会現象はなかなか理論通りに進みません。そこがおもしろい部分でもあり、現実の社会現象の把握につながる理論を見出せた時には大きな喜びを感じます。数学者としては珍しいタイプなのかもしれません。昔から抱いてきた「社会の役に立つ研究をしたい」という思いが現在のやりがいにつながっているのです。
私が研究者として取り組んでいるのは、主に金融をテーマにした研究ですが、確率微分方程式はあらゆる社会現象のシミュレーションに応用できます。前述の気候変動のシミュレーションのほか、感染症の患者数の推移や最大降水量と水害の予測などにも応用が期待され、政策決定時の判断材料にもなり得ます。
私のゼミナールの学生は、金融商品や資産の運用方法の研究はもちろんのこと、金融を勉強した上で、それぞれが興味を持った社会現象について将来予測を立てている学生も多くいます。マイナンバーカードの普及、キャッシュレス決済の浸透、エコカーの割合と政策効果などなどテーマは実にさまざま。確率微分方程式を活用し、時間経過とともに着実に増えていくものと不確実な要素とを分離して動向を見極め、レポートを仕上げていきます。加えて、社会問題について討論を行い、社会全体を知るという取り組みも重視しています。討論を通してどのような社会現象をテーマにすべきか、各自が考えを深めていくのです。学生たちには、確率微分方程式による金融動向の分析手法を将来、幅広い分野に役立ててほしいと思います。金融、コンサルタント、商品開発、危機管理など多方面での活躍を期待しています。
社会情報学部は文理融合の学部であり、文系の学生も多いため、初めは数学に苦労するケースも少なくありません。しかし、社会現象をとらえるというテーマに興味を抱き入学してくる学生たちは、数学でさまざまな現象を解き明かすおもしろさに徐々に目覚めていくようです。厳しい受験勉強を乗り越えて入学してくる新入生の皆さんも、その魅力や奥深さをぜひ知ってください。