青山学院大学の教員は、
妥協を許さない研究者であり、
豊かな社会を目指し、
常に最先端の研究を行っています。
未来を創る本学教員の研究成果を紐解きます。
TOPIC
評価のポイント
本領域に関しては、これまで世界中で多くの研究がなされてきた中で、今回新たにタンパク質の中に取り込まれたケトプロフェンの光反応機構について、分子の光反応を観察する分光学的手法を用いて詳細に解明し、議論をすることに成功したことが受賞につながったと考えられます。
オリジナリティの発揮
本研究で使用した分光学的手法に用いた実験装置はすべて研究室で自作したもの。さらにそうした実験結果の理解を深めるための分子動力学計算を用いた解釈により、<実験☓理論>というオリジナリティを発揮できたことが、独創性の高い研究成果につながっています。
トピックを先生と紐解く
柏原 航 助教
理工学部 化学・生命科学科
神戸大学 理学部 化学科卒業。東京工業大学大学院 理工学研究科 化学専攻 博士後期課程修了。2018年10月から本職。専門分野は物理化学(特に光化学、分子分光学)。自身の学部時代から実験装置に自作の工夫を施すことを大切にして研究に従事。本研究の他にも、物質にレーザーなどの強い光を当てた際に物質を構成する分子一つが一度に二つの光子を吸収する「二光子吸収のメカニズム」や、将来的にがん治療の光線力学療法で使用できる新たな増感剤として期待される、DNAやRNAの重要な構成要素である核酸塩基の一部をチオ(S原子)置換した「チオ核酸塩基の光化学反応」などの研究にも力を注いでいる。
薬剤性光線過敏症の原因と考えられるケトプロフェンの光化学反応の機構を解析
自作装置による実験と高度な計算の組み合わせによって、これまで得られなかった成果を獲得
将来的な薬剤開発への糸口として期待される研究成果で国際的にも評価
ケトプロフェンをはじめとする非ステロイド系抗炎症薬は湿布薬や飲み薬などに薬効成分として含まれており、身のまわりでたくさん使用されています。その種類はさまざまですが、ときに薬剤性光線過敏症という副作用を発症します。これは、薬剤分子が日光の中の紫外線を吸収し、光化学反応を起こすことが原因です。しかし、その詳細な機構は今でもよくわかっていません。 私はレーザーを使った分光法を用いて、その反応について詳細に研究を行ってきました。その成果が高い評価を受け、今回の受賞につながりました。
具体的には、タンパク質の中に取り込まれたケトプロフェンの光反応機構の詳細な議論をすることに成功し、薬剤性光線過敏症がなぜ起こるのかという本質に迫ったことが特に高く評価されたと考えています。本研究に関する論文が125年以上続く著名な米国化学会の論文誌”The Journal of Physical Chemistry”の表紙として選ばれたことからも周囲の評価が実感できました。
特に今回の研究は実験による観察と理論面における計算の双方を組み合わせた点に意義があると考えています。まずメカニズム的なところでは、光化学反応による薬剤性光線過敏症はタンパク質の中にケトプロフェンが入り込んで、そこに光が当たった際にどのような反応が起きているかというメカニズムなのですが、タンパク質というのは非常に複雑な構造をしています。ケトプロフェンが取り込まれるのは、血中で薬剤分子を運ぶ役割を持つヒト血清アルブミンというタンパク質と考えられています。ヒト血清アルブミンはアミノ酸が約600個も連なった構造をしていて、それらのどこにケトプロフェンがいて、光が入ってきた時にどのような反応を示しているかを捉える方法というのは、実験的な手法が確立されていないので、それ自体の難易度が非常に困難です。
そこで私は実験面では過渡吸収分光法という分光学的手法を用い、さらに理論面では分子動力学計算を行い、それらの結果を組み合わせた解析手法から、タンパク質中でのケトプロフェンの光化学反応の初期過程を明らかにしました。
まずはアミノ酸とケトプロフェンの反応を見る過渡吸収分光法の実験系を構築し、どのアミノ酸が反応しやすいのかあるいは反応しないのかを分析していきました。そうすると数あるアミノ酸の中でも、アミノ酸側鎖のプロトン供与性(*)が高いほど、ケトプロフェンとの反応が進行しやすく反応性が高いラジカル種を生成しやすいことが分かりました。次に、実際にケトプロフェンがヒト血清アルブミンのどのあたりに取り込まれて、そこではどのような反応が起きているのかを、分子動力学計算により調べていきました。その結果、ヒト血清アルブミン中においてケトプロフェンが存在しやすい場所と、その近傍にあるケトプロフェンと反応性が高いアミノ酸残基を特定することに成功したのです。これらの結果から、ヒト血清アルブミン中で、特定のアミノ酸残基との光化学反応によって生じる反応性の高いラジカル種がアレルゲン生成のきっかけになることが示唆されたのです。*水素イオンH+(プロトン)を放出する能力
こうした成果を残すには、もちろん先行研究の事例などを参考にしますが、それらではこれまで見えていなかった部分を見るための工夫が必要であり、容易なことではありません。今回の研究では過渡吸収分光法に用いる実験装置はすべて自作しました。そのために実験を始めれば即座にほしい結果が現れてくれるわけではなく、何度も測定と解析を繰り返し、出てきた結果が果たして正確に観測できたものなのか、あるいは実験装置による何らかの影響が生じてしまっているのかなどを考慮しなければならず、信頼できるデータを取得するまでに苦労しました。
たとえば過渡吸収分光法では、分子の光反応を開始させるための励起光と、光反応をモニターするためのプローブ光を当てて観測を行うのですが、最初はこのプローブ光に紫外線が含まれていました。観測対象であるケトプロフェンは紫外線によく反応してしまうので、観測するための光に紫外線が含まれていては正確な結果を導き出すことができません。そこで、プローブ光に紫外線をカットするフィルタを挟むことで正確な実験結果を導き出すこともしました。
こうして後から話してみると、そんなことかと感じられるようなこともあるのですが、何度も実験を繰り返し、予想される範囲に数値が収まらない中で、いったいどこに原因があり、どういう対策をすれば良いのかを見極めながら、信頼できるデータを取得するまでに苦労を重ねました。さらにそこから数多いアミノ酸で構成されるヒト血清アルブミンのどこにケトプロフェンが取り込まれ、どういう反応をしているのかを推測するための分子動力学計算を行っていったのですが、これも研究室では初めてのアプローチだったため苦労しました。けれども、こうしてこれまでやったことのない挑戦を重ね合わせることで、これまでにない研究成果を導き出せたのだと思います。
私自身、学生時代から研究室では自分の手で実験装置を開発しろと鍛えられてきました。もちろんそれは研究に直接役立てられる装置を開発できるという面で非常に自由度が高い試みではありますが、一方で先ほどお話ししたように、実験結果のどこに問題があるのか、さまざまな可能性を検討しなければならず、非常に難度の高い挑戦ではあります。正直に言えば、どこまで行っても不安はある方法です。しかし、プローブ光の例で紹介したように「原因はこれかもしれない」と推測し、対処を施し、目論見の通りに修正をはかれた時の楽しさは非常に大きなものがあります。また、こうした装置を組み立てられるからこそ、人が見出してこられなかった観測結果や研究成果にめぐり合うこともできるのです。
今回の実験結果がたちまち薬剤性光線過敏症の対策に結びつくわけではありませんが、それでもこういう分野の研究をしている以上、将来的に自分が発見した知見が、より良い薬剤分子の開発などにつながってくれたら良いなという気持ちはもちろんあります。
今回わかったのはあくまでもケトプロフェンという一つの薬剤分子の結果だけなので、病気に対してこれだけで言えることはすごく限られています。今後はケトプロフェン以外のさまざまな分子においても、基本的には同じような手法で研究を進めていくことができるので、そういう結果を集めることで、薬剤分子がタンパク質中で起こす光化学反応について包括的に議論していくことは可能かなと思います。
その結果を臨床で得られた結果と組み合わせて考えると、もしかしたら、薬剤性光線過敏症の本質に迫っていくことができるような成果につながってくるのかもしれません。今回はそのための第一ステップというか、将来的にそこまで見極めていくことができたら良いなという思いを持っています。
もっと広い範囲でこれからについて考えると、過渡回折格子法という分光学的手法を用いた研究では、分子レベルでの拡散現象について光を使って知ることができます。それは生体内における分子の動き、反応を観ることができる手法ということですので、分子の動きに対するより正確な観測手法を確立していく中で、生体内での薬剤分子の挙動の理解、病気の原因解明につながるような現象の見極めに研究をつなげていければと思います。
私たちが取り組んでいるのは基礎研究という領域で、すぐさま何かの役に立つというものではありません。けれども、基礎研究から得られる知識は長期的には新しい技術や治療法の開発に不可欠です。分光学的手法を含む新しい研究手法の開発は、これまで科学では解明できなかった現象の解明という成果をもたらし、自然界の複雑な現象への深い理解を促します。科学が進歩したとはいえ、自然現象については、いまだほとんど明らかになっていないと思います。研究を通して、自然現象を少しでも明らかにするためには、地道な仕事が必要です。しかし、誰も気付いていない自然現象を自分が世界で初めて発見して、その現象を理解し、発信するというのは、この上なく貴重な経験となります。大学生や大学院生とは、そのプロセスを一緒に楽しみつつ、ともに研究に向き合っていきたいと思っています。