私たちが生きている世界には、
身近なことから人類全体に関わることまで、
さまざまな問題が溢れています。
意外に知られていない現状や真相を、
本学が誇る教員たちが興味深い視点から
解き明かします。
人類はたびたび感染症の脅威にさらされ、今まさに世界中が新たな感染症(新興感染症)に翻弄されています。実は、感染症の中で、人類が制圧に成功したのは「天然痘」ただひとつしかありません。紀元前から存在したとされる天然痘は、感染力が強く、それにかかると亡くなる場合も多く、20世紀後半まで世界中の人々の命を奪ってきました。20世紀半ばには、毎年1000万人を超える患者があり、およそ200万人が死亡していました。日本でもたびたび流行がありました。
天然痘を制圧することができたのは、18世紀末、エドワード・ジェンナーが天然痘ウイルスを予防するワクチン(種痘)の開発に成功したからです。ジェンナーは牛の乳搾りをしている人があまり天然痘に罹らない事実に着目しました。また、一度天然痘に罹った人はその後罹ることがないことも経験的に分かっていたことでした。そこで、毒性の強くない牛の天然痘(牛痘)を接種することで免疫を獲得する「種痘」という画期的な方法を確立したのです。この方法はその後日本にも導入されます。「牛痘」以前には、天然痘にわざと罹って免疫を獲得しようとする「人痘」という方法が世界中で行われていました。ところが、この方法はむしろ天然痘をひろめることになってしまったとされています。
WHO(世界保健機関)は、1958年に世界天然痘根絶計画を策定し、ワクチンの製造や接種計画を進めました。しかし、ワクチンの全員接種は結局うまくいきませんでした。そこで実施したのが、天然痘患者を見つけ出して、その周辺の人たちにワクチンを打つというやり方です。この方法は新型コロナウイルス感染で、世界各地で行われているクラスター対策に似ています。
WHOが中心となって進めた天然痘対策が成功したのは「国際協調」の結果でした。米国とソ連による東西冷戦の中でも、天然痘対策では協力があったことの意味は大きく、国境を越えて広がる感染症を制圧するには「国際協調」が欠かせないことを示しています。このことは、新型コロナウイルスの感染拡大の中で、国際的な摩擦も強まっている現在、特に強調しておきたい点です。こうして1980年5月、人類初にして唯一となる天然痘根絶宣言に至ったのです。
2020年の新型コロナウイルスは、社会的インパクトが非常に大きなものとなりました。日本を含む世界の各国は、事実上「鎖国」に近い状態となり、経済活動や社会生活、学校なども停止することが求められました。こうした対策は、公衆衛生の歴史の中でもはじめてのことでした。
そうした中で、各国の医療制度の違いに気づいた方も多いでしょう。「病気を治すのは誰か」という問題が、各国の医療制度の基礎にあります。病気は個人の問題だと割り切れば、政府は関与しなくてもよいことになります。これに対して、手厚く対策を行った国もありました。病気や医療への考え方は、国によってかなり違います。例えば、米国と英国はどちらも高度な医療技術をもつ国ですが、米国は日本のような国民皆保険制度がなく、病気を治すのは個人の責任とする見方の強い国です。対して、英国には政府が運営するNHS(National Health Service)という医療制度があり、原則として無料で医療を受けることができます。だからといって気軽に医療機関を受診できるわけではなく、ゲートキーパーと呼ばれるかかりつけ医を受診しなければならず、具合が悪くなっても1週間くらい待たされることがあります。
国の支出を抑えて個人の責任に委ねる「小さな政府」、国による福祉サービスが手厚いが税負担が大きい「大きな政府」、それぞれにメリットとデメリットがあり、そのどちらがよいかを一概に言うことは出来ません。それでは、日本はいったいどちらの制度なのでしょうか。また、医療や公衆衛生は十分に機能しているでしょうか。それは、政治文化の問題であり、歴史的にどのようなあり方が模索されてきたかという問題でもあります。医療や社会のあり方を考える際には、医学や公衆衛生と同時に、さまざまな見方が必要になります。経済学、心理学などとともに、歴史学からの理解が役立つことがあるのです。
歴史学が得意としているのは、「記録し、後世に受け継ぐ」ということです。新型コロナウイルスの感染拡大が問題になり始めた頃、新型インフルエンザが世界的に流行した2009年の新聞を読み返してみました。そこには、マスク不足やソーシャルディスタンスの重要性という、今回と同じことが課題として書かれていました。当時の専門家たちも将来のことを考え、備えるべきことを提言していましたが、残念なことに人はすぐに忘れてしまうのです。日本の場合は、2011年に発生した東日本大震災に社会の関心が移り、感染症対策への意識が薄れたという側面もありました。
人類史における感染症は、およそ1万年前まで遡ることができます。大きな転機となったのは、およそ1万年前の農業の開始だったと考えられます。森林を切り拓いて農地を拡大しようとすると、森林にいた病原体と交錯する可能性も高まりました。野生動物を家畜化することで人間の生活と交錯するようになった病原体も多数あったでしょう。農耕社会は狩猟採集生活に比べて出産や育児におけるリスクが低いため、女性の出産間隔が短くなり、子ども(人口)が増える傾向にありました。その結果、人口が増加し、都市化も進展します。こうした人類のさまざまな活動が、多くの感染症にとって感染拡大の機会となったという背景があるのです。
15世紀のコロンブスなどの新大陸「到達」によって、人とモノの交換が活発化すると(コロンビアン・イクスチェンジ)、病原体の交換も活発化して、感染症が世界中に広がりました。その象徴が天然痘です。ヨーロッパの天然痘がアメリカ大陸に持ち込まれた結果、多くの原住民が命を落とし、植民地化が進みました。天然痘が歴史を変えたのです。
日本は、風土病として日本列島や沖縄諸島の全域にあったマラリアの制圧に成功しました。そのため、現在は、輸入マラリア(海外で感染した人が日本に戻って発症する)が懸念されています。しかし、温暖化にともなってマラリアを媒介する蚊の生存エリアが広がると、日本でもマラリアの感染が再燃することが懸念されます(再興感染症)。こうした感染症にはデング熱もあります。数年前に熱帯特有の病気と思われていたデング熱が東京で発生して問題となったことは、記憶に新しいところでしょう。
マラリアは、現在でも世界で毎年数十万人が亡くなっている感染症です。第二次大戦後、日本をはじめ世界各地で、DDTを使って媒介蚊を駆除し、マラリアの制圧が進みました。ところが、レイチェル・カーソンが書いた『沈黙の春』という本でDDTの毒性が明らかになると、DDTは使えなくなってしまいました。現在、マラリア対策としてもっとも有効な方法の一つは、媒介蚊をふせぐ蚊帳を配布することで、その方法がアフリカなどへの医療援助の中で試みられています。
こうした中で、日本のマラリア対策の経験が途上国などでの感染症対策に役立つ可能性があります。マラリア以外にも、リンパ系フィラリアや日本住血吸虫症という寄生虫症の制圧の経験は、こうした感染症が現在でも大きな健康上の問題となっている途上国などでの生活の改善に役立つ知恵となる可能性があるのです。そのためには、感染症の制圧の過程を示す歴史的な資料を整理・保全して、活用することが必要です。これを、「歴史疫学」と呼んでいます。
多くの方々は、歴史学は「過去」を扱い、また、「過去」は何か固定したものというイメージを持っているようです。それは正しくありません。「過去」は現在との対話の中で、常に変化するものです。つまり、現在への理解が変化すると、「過去」も変化するのです。
「過去」のできごとも、「歴史化」という作業を経て初めて明らかになります。その「歴史化」を担うのが歴史学という学問であり、今起きていることを記録して後世に伝えることは歴史学にとって非常に重要な仕事です。今を生きる人々の記録もとても重要です。例えば、現在、新型コロナウイルスへの対策として求められている行動の変容は、私たちの生活にとても大きな影響を及ぼしています。私たちは、「何に不安を感じ、何に悩み、何に楽しみを見出しているのでしょうか」。それは、なかなか記録されません、むしろ失われる可能性の方が高いと言えます。そこで、まず、日々つきあっている学生の感じていることを記録する試みを始めました。そうした人々が感じていることを記録することも歴史学の仕事なのです。これは、すぐには役に立たないかもしれません。しかし、次に感染症の流行があった時、対策のためにたいへん大切な資料となることは言うまでもありません。
「感染症の歴史学」が注目される前には、「災害の歴史学」が注目されたことがありました。それは、2011年の東日本大震災や、近年増えているさまざまな災害と関係があります。かつて、災害や感染症が歴史の教科書に書かれることはほとんどありませんでした。しかし、今後は、震災や今回の新型コロナウイルス感染症が歴史として意識されることになるでしょう。そうした「過去」が「歴史化」される場面にぜひ参加してほしいと願っています。
(2020年6月掲載)