私たちが生きている世界には、
身近なことから人類全体に関わることまで、
さまざまな問題が溢れています。
意外に知られていない現状や真相を、
本学が誇る教員たちが興味深い視点から
解き明かします。
「あなたは自分自身の言葉の遣い方について、どれくらい気を遣っていますか?」
こう問われたら、あなたなら何と答えるでしょうか?
これは、文化庁が実施した平成23年度「国語に関する世論調査」の第1問です。この質問に対して「非常に気を遣っている」あるいは「ある程度気を遣っている」と回答した人は77.9%。過去3回の調査の中で、最も高い割合でした。
一方、同調査の「ほかの人の言葉遣いが気になるか、気にならないか」という質問では、「気になる」と答えた人の割合は75.7%。4人中3人が、他人の言葉遣いについて気にしているという結果でした。
では、あなたの言葉の遣い方はどうでしょうか?次の言葉の意味について、正しいと思う方を選んでください。
各問の正解は、「うがった見方をする ②」「にやける ②」「失笑する ②」「割愛する ②」です。あなたは正しい意味を理解できていたでしょうか。ちなみにこの調査では、「16~19歳」から「60歳以上」までのすべての年代で、本来の意味ではない方を選んだ人の割合が高いという結果が出ました。およそ8割の人が、「言葉の使い方に気を遣っている」と感じているにも関わらず、日本語の用法について誤った解釈をしていることがわかります。
また、とりわけ最近では、子どもたちの日本語能力の低下が指摘されています。文部科学省が小学校6年生と中学校3年生を対象に実施した「全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)」において、資料を読んで自分の考えを100字程度にまとめる問題では、小6で全体の19%、中3で11%が無解答でした。その理由について聞くと、「難しくて解答できなかった」が小6の79%、中3の53%を占めました。さらに「難しくて解答できなかった」理由を問われると、「問題文の意味が分からなかった」と答えた子どもが、じつに小6で4割、中3で5割を占めています。つまり、「文章の論旨を理解して、それに対する自分の考えを自分の言葉でまとめ、筋道を立てて相手に伝える」力が弱いことが明らかになったのです。
これらの結果を見て、あなたはどう受けとめますか?
現代は「グローバル・コミュニケーションの時代」と言われ、最近では社内公用語を英語にする企業が現れるなど、英語を学ぶことの重要性が話題になっています。こうした流れを背景に、文部科学省は、小学校における英語教育の開始時期を現行の5年生から3年生に引き下げ、5年生からは正式な教科にする方針を打ち出しました。また、中学校では英語の授業を原則として英語で行う計画です。世界で活躍できる人材を育成するため、早い時期から基礎的な英語力を身につけさせることが目的のようです。
しかし私は母国語教育の立場から、こうした趨勢には次のような重要課題があると考えています。
現代の子どもたちの問題点として、「仲間同士のおしゃべりはできるが、人前では、聞き手を意識した話し方ができない」「書くことに対する苦手意識が強い」などが指摘されています。母国語である日本語が満足に理解・活用できていない段階で、英語教育を充実させることなど、本当にできるのでしょうか?
言語能力には「会話言語能力」と「思考言語能力」の2種類があります。
このうち、「会話言語能力」は、小学校入学までに自然と修得すると言われています。私たちは周囲の人たちとのコミュニケーションを通じて「音韻・音声」「語彙・語句」「言葉のきまり(文法)」などを学び、就学時点では3000語から6000語の単語を理解し、基本的な文法を使いこなす能力を身につけているのです。
これに対して「思考言語能力」は、水や空気のような存在である母国語を自覚的に理解・表現する能力で、計画的で螺旋・意識的な学習を通じて身につけるものです。
小学校では、それまで意識することなく使っていた日本語を少しずつ意識的なものにすることが大切です。例文を用いながら、例えば「すばらしい」と「楽しい」のニュアンスの違いなどを比較し、自分でセンテンスをつくりながら学んでいきます。
中学・高校では、「何を話し合うのか」「何を解決するのか」など、目的を明確に意識して言葉を選び、相手が理解しやすいよう筋道を立てて論理的に表現する力を身につけます。
さらに大学では、「何を解決すべきなのか」「何を提案するのか」「何を考えたのか」など目的とプロセスを論理的に構成して意図的・計画的に言語を運用する能力を体得します。
このように、母国語において思考言語能力をしっかりと習得できていれば、他の言語を学ぶとき、その言葉を類推したり置き換えたりすることで容易に理解できるようになり、さらに自分の考えを広めたり深めたりすることにも発展します。つまり、日本語の思考言語能力を磨くことに比例して、あなたの外国語習得の重要な基盤を形成することになるのです。
では、日本語において思考言語能力を育むためには、どうすれば良いのでしょうか?
私は、「5つの言語意識」を身につけることを提唱しています。従来の国語教育では、単に話し方・書き方といった技術の習得や、一方通行的な発信に終わってしまいがちでした。これに対して“伝え合う力”すなわち双方向的な言語能力を培ううえで重要なのが、以下の「5つの言語意識」です。
①は、伝えたい相手が年上であるか、年下であるかなどによって、使う言葉の選び方や口調を変えること。
②は、「何のための話し合いなのか」「何のためにこの文献を読むのか」といった目的を明確にすること。
③は、話す場が「プライベートな場」なのか「オフィシャルな場」なのかによって、話すときの仕草や服装などを変えること。具体的には、“友人の結婚式での3分間のスピーチ”と、“取引先での5分間のプレゼンテーション”の違いを考えてみればわかりやすいでしょう。
④は、相手に分かりやすく伝えるための方法を意識すること。「冒頭でキーワードを提示する」「図表やビデオを使って説明する」などがこの例です。
そして⑤は、自分の伝えたいテーマや表現行為(口調、表情、方法など)が相手にきちんと理解されているかどうかを確認しながら話を進めること。他者から見て自分の表現行為はどう映っているのかをチェックすることです。
この「5つの言語意識」が象徴的に現れた例が、2020年の東京オリンピック招致を成功に導いた日本のプレゼンテーションです。「五輪招致の請負人」として注目を集めるイギリス人コンサルタントは、「聞き手が何を求めているのかを、話し手がきちんと理解すること」「話し手を交代させたり、ビデオや映像を使って聞き手を飽きさせないこと」「スピーチ原稿の執筆や資料作成と同じくらいの努力をリハーサルにつぎ込むこと」などを徹底的に指導し、リハーサルをビデオに録画しました。プレゼンターたちは自分のプレゼンテーションをビデオで見ながら何度も改善を重ねていったのです。
流行語にもなった滝川クリステルさんのプレゼンテーションでは、当初は、人さし指を会場に向けて「お・も・て・な・し」とする予定だったそうです。しかし、聴衆であるIOC委員には王族も含まれているため、「傲慢な印象を与えるのではないか」という懸念から、手でつぼみのような形をつくるポーズに変更されたということです。また、「おもてなし」と復唱する際に滝川さんが合掌したのは、インドやネパールでのあいさつ「ナマステ」の仕草でした。このポーズについてコンサルタントは、「アジアのIOC委員も多いことからアジアの代表としてオリンピックを歓迎していることを強調した」と、アジア票固めの思惑もあったことを明かしています。
こうした緻密な戦略と努力の結果、あの感動的なプレゼンテーションは生まれたのです。日本のプレゼンテーションを、先ほど紹介した「5つの言語意識」に照らして思い出してみてください。ベースとなる「母国語での思考言語能力」が、いかに大切なものであるかがわかるでしょう。
スポーツ競技ですばらしいパフォーマンスを発揮するためには、筋力や柔軟性などが欠かせません。これと同様に、「5つの言語意識」を支えるためには、“言語の基礎体力”ともいうべき力が必要となります。この基礎体力を育てるのが「3つの耕し」です。
具体的には、「毎日音読をする」「好きな表現を書き写す」「読書をする」の3つです。音読をすることで、日本語のリズムやテンポの良さを体に染み込ませることができます。また、好きな表現を書き写すことで、起承転結、書き出し、書き収め、場面の転換など、日本語表現の基本的な形式を知らず知らずのうちに身につけることができます。さらに読書によって想像の世界を広げることで、豊かな言語表現を体得することができるのです。
ぜひあなたも、「5つの言語意識」と「3つの耕し」で、日本語の思考言語能力に磨きをかけてみてください。それはきっと、あなたの「豊かなグローバル・コミュニケーション力」にもなることでしょう。
(2014年掲載)