私たちが生きている世界には、
身近なことから人類全体に関わることまで、
さまざまな問題が溢れています。
意外に知られていない現状や真相を、
本学が誇る教員たちが興味深い視点から
解き明かします。
あなたは文章を書くことが得意ですか? それとも苦手ですか? もし、コンピューターを使って文章表現力が向上するとしたら、あなたはそのシステムを使いたいと思いますか?
ひと口に「文章表現」と言っても、文章には小説、エッセイ、ルポルタージュ、評論など、さまざまな種類があります。それぞれの文章には特有の作法、技術、構成法がありますが、ここで言う「文章表現力」とは、事実を客観的に示し、明確に主張を述べることができ、複数の異なる解釈を与えず、冗長な表現を含まない文章を作成することのできる能力を指します。つまり「レポート」「論文」「マニュアルなどの技術文書」などの作成に求められる能力です。
現在、大学において、文章表現力の育成は、ITスキル育成などと並んで必須の課題です。学生たちの、レポートや論文といった文章を理解し作成する能力の低下は著しく、日々指導にあたる大学教員からは、「レポートなどの論理的な文章が書けない」といった類の訴えが多く聞かれます。実際、2011年度の文部科学省の調べによれば、9割以上の大学で、「レポート・論文の書き方などの文章作法を身に付けるためのプログラム」を教養教育に関する科目として開設しています。(*)
その多くは、授業方法や教材などを工夫し、教員が直接関わることで指導しようとしていますが、文章力を養成するためには、講義だけでなく、演習・実習によるトレーニングが欠かせません。しかし、きめ細やかな添削指導を行うためには、教育方法論の開発や、多くの優秀な指導者を育成することが必要となります。残念ながらこのような取り組みのできる機関はそれほど多いとは言えません。そのため、広範囲での実施が難しいのが現状です。
そこで青山学院大学では、2008年から「日本語表現法開発プロジェクト(PaWeL:Promoting academic Writing education through an e-Learning)」という取り組みを行ってきました。これは、自然言語処理技術を用いた教育支援ツールを活用することによって、論理的な文章を作成する能力を育成しようというものです。それによって、従来の人的負担を軽減させ、効果的な教育を実現させようというものです。
自然言語処理技術とは、日本語や英語のように私たちが日常生活で使用している言語(自然言語)を、コンピューターに理解させるための技術で、ワープロソフトの日本語変換機能や自動翻訳、スマートフォンの音声認識機能などに利用されています。
それでは、このツールが文章表現力の向上にどのように役立つのかをご紹介しましょう。
*大学における教育内容等の改革状況等について(平成23年度)より
客観的・論理的な文章を書くうえで最も重要なのが「パラグラフ(段落)を意識して書く」ということです。パラグラフとは、ある1つのトピック(話題)について述べた文の集まり(1つの文で構成されることもある)のこと。パラグラフが変わるということはトピックが変わることを意味し、パラグラフが変わらなければトピックは同じままであることを意味します。パラグラフを意識して効果的な文章を書くためには、以下の3つのポイントを守ることが大切です。
1.1つのパラグラフでは1つのトピックだけを述べる。
2.パラグラフの先頭には、そのパラグラフの主題を端的にあらわした文(中心文)を置く。
3.先頭のパラグラフには、文章全体の要約が書かれる。
このように、文章の構造を意識して構成された文章は「必要な情報と不要な情報を容易に選別できる」「重要な情報の読み落としがない」「筆者の考えの流れが容易に理解できる」などの優れた特徴があります。
このような“パラグラフ・ライティング”を学ぶために役立つのが、文章構造理解支援ツール「Hinako(ひなこ)」です。Hinakoは、論理的な文章を構成するための思考プロセスを、視覚的にわかりやすく示すための支援ツールです。
Hinakoの基本的な操作手順は、非常にシンプルです。画面は2つのウインドウで構成され、左ウインドウには「本文」、右ウインドウには「中心文」が表示されます。その結果、中心文だけを読むことで、本文の内容が理解できることになります。
操作の大まかな流れは、以下のようになっています。
(1) 左ウインドウで、自分が書いた文書を開く
(2) 中心文を指定して要約を作成する(中心文を指定しない場合は、各段落の先頭文が自動的に中心文として抽出される)
(3) 要約を読んで全体が理解できるか確認する(図1)
(4) 左ウインドウに戻って文章を修正する(図2)
(5) (3)以降を、自分で納得するまで繰り返す(図3)
学習者は、自分が書いた文章を左ウインドウに読み込みます。「要約」ボタンをクリックすると、右ウインドウにその文章の要約が表示されます。その要約だけを読んで文章が理解できればOK。理解できなければ左ウインドウの本文を修正していくのです。また、中心文以外の文(支持文とよびます)が中心文の主張をきちんと補強しているかどうかも確認します。このトレーニングを繰り返すことによって、「各パラグラフの意味と関連性が明確であるかどうか」「各パラグラフにおける中心文が、筆者の主張したい内容を明確、かつ端的に表しているかどうか」をチェックする習慣を身につけ、客観的・論理的な文章を書く能力を磨くことができるのです。
Hinakoを用いたパラグラフ・ライティングが「文章全体の構造」をチェックし、トレーニングするツールであるのに対し、次に紹介する校正・推敲支援ツール「Tomarigi(とまりぎ)」は、文単位での表記や構造をチェックして、自分が作成した文章表現の誤りを改善する際の気づきを促すためのツールです。
学生のレポートや論文を読んでいると、「やはり」と書くべきところを「やっぱり」と記述することや、適切な説明なしで「○○的な」といった表現を繰り返し使用するなど、客観的・論理的な文章を書くうえで不適切な表現を多用した文章が多いことに驚かされます。
Tomarigiは、こうした 語彙、語法に加えて口語表現などの不適切な表現をはじめ、「“である調”と“ですます調”が混在していないか」「常用漢字外の漢字を使用していないか」「読点(、)をどこに打つべきか」「同じ助詞が連続して使用されていないか」「指示語が多用されていないか」などを解析し、誤り候補を抽出して、その詳細情報や修正候補などを表示します。
Tomarigiの基本画面(図4)は、4つの機能に対応する領域から構成されています。赤枠で示した「エディタ領域」では、既存文書の読み込み、新規作成、修正等を行うことができます。黄枠の「指摘カード」では、一文中のどの箇所に誤り候補が存在するか、誤りの種別と位置を示します。青枠の「指摘詳細カード」では、指摘された誤りについての詳細情報を表示。必要に応じて修正候補も表示します。そして、緑枠の「文書情報」では、指摘数や漢字含有率など、文章に関する属性情報を表示します。
操作の基本的な流れは、
(1) 「エディタ領域」に文章を入力する
(2) 校正・推敲チェックを実行する
(3) 誤り・修正候補が「指摘カード」に表示されるのでクリックする
(4) 「指摘詳細カード」で確認(必要に応じて修正候補を確認)
(5) 指摘に基づいて「エディタ領域」で文を修正
という手順で進めていきます。
では次に、Tomarigiの具体的な指摘例を見てみましょう。図5は、エディタ領域に「猫が追いつめたネズミが食べたチーズは腐っていた」という文を入力したケースです。Tomarigiは、1つの文の中に「猫が追いつめたネズミ」と「ネズミが食べたチーズ」という入れ子構造をもつ修飾節が存在するため、修飾関係がわかりにくいことを指摘しています。そして修正候補として「猫が追いつめたネズミはチーズを食べた」「そのチーズは腐っていた」という2つの文に分割することを例示します。
次の指摘例は、エディタ領域に「役所の要望は窓口を、一本化して受付け内容は公表される」という文を入力したケースです(図6)。Tomarigiは、各文節の係り受け関係を推定したうえで「読点を打つべき箇所」「どちらでも良い箇所」「読点を打つべきでない箇所」を記号で表示。さらに「窓口を」と「一本化して」の間に読点を打つことができない理由を表示し、「受付け」の後に読点を打つべきと指摘しています。
このように、Tomarigiを活用した学習によって、文章を執筆する際の定型的なルールを身につけることが可能となるのです。
青山学院大学では、2010年度に、Hinako、Tomarigiなどのツールを用いた演習授業を行いました。各ツールを利用しながら、エッセイ(500字)、メールによる依頼文、説明文(500字)、小論文(600~800字)、レポート(3000字)と、目的が異なる5種類の文章を作成してもらったのです。そして授業最終日には、各ツールの効果に関する学生アンケートを実施しました。その結果、「Hinakoにより、段落記述の中心文の役割を意識するようになった」「Tomarigiにより、文章の形式誤りや修飾語の使い方、それらのクセを意識するようになった」などの回答が寄せられ、「授業全体を通じて、わかりやすい文章を書けるようになった」と答えた学生は74%を占めました。
冒頭で述べたように、このツールで培われる日本語表現力は、あくまで「レポート」や「論文」「マニュアルなどの技術文書」の作成に求められるものに限定されます。しかし、こうした教育支援ツールを活用して、学生が自主的に基礎学習を行うことができれば、教員たちはもっと質の高い日本語教育に専念することができるのではないかと考えています。また今後は、外国人向けの日本語学習支援への活用も期待されます。海外からの留学生だけでなく、看護師や介護士として日本で働くことを希望する外国人にとって、日本語の習得は高い壁となっています。こうした人たちの学習支援にも役立つのではないでしょうか。
本稿で紹介したHinako、Tomarigiなどのツールは、私の研究分野である「人工知能」「自然言語処理」を含むコンピュータサイエンスの世界においては必ずしも“最先端技術”ではありません。しかし、既存の研究成果や技術をコーディネートすることで、高価な設備やソフトウェアを必要としない「社会の役に立つものをつくる」ことも、私たち研究者の大切な役割です。今後も研究開発を続け、さらに優れた教育コンテンツへと発展させていきたいと考えています。
Hinako、Tomarigiなどのツールは、日本語表現法開発プロジェクト「PaWeL」の成果として公開され、現在も、元本学理工学部情報テクノロジー学科助手の大野博之氏(現東京医療保健大学 医療保健学部 医療情報学科助教)との共同研究により改良が進められています。また、日本語表現法開発プロジェクト「PaWeL」ウェブサイト(http://www.pawel.jp/)からダウンロードが可能です。
(2015年掲載)