私たちが生きている世界には、
身近なことから人類全体に関わることまで、
さまざまな問題が溢れています。
意外に知られていない現状や真相を、
本学が誇る教員たちが興味深い視点から
解き明かします。
私の専門分野は流通・商業、流通システム、流通政策です。社会保障制度や電気・ガス・水道といった社会インフラと同様に、流通システムは人々の日常生活や豊かな体験を支える社会的な仕組みです。私たちは消費者として、いわゆるFMCG(頻繁に購買される非耐久消費財)から家電、自動車、さらにはサービス財に至るまで、多岐にわたる商品やサービスを日々消費しています。これらの消費活動が円滑に行われるためには、流通の働きが欠かせません。また、近年は日本各地で災害が激甚化する中、被災地で支援物資を必要とする人たちのもとに迅速かつ確実に供給するという側面での流通の重要性も高まっています。
さらに、地理的条件や気候帯が多様な上、急速な少子高齢化とそれによる人口減少が顕著な日本では、安定供給が不可欠な医療用医薬品へのアクセスが困難であったり、日々の暮らしに欠かせない飲食料品や日用雑貨の買い物もままならなかったりする状況も決して珍しくありません。そのような状況に対処するために、さまざまなメーカーや卸売商、そして小売商の皆さんが創意工夫を重ねていますが、地域によっては市場メカニズムだけでは問題を克服できない段階まで問題が深刻化しています。そうした場面では、問題の現状とそこに至る経路がどうなっていたかを的確に把握し、望ましい状態に導くための政策的関与が必要となります。流通政策の出番となる場面です。
このように日常生活にも非常時にも不可欠な流通の仕組みについて、主にマクロ的視点から研究しています。生産と消費とをつなぐ巨大な仕組みとしての流通は、生活者の需要や生産者の創意工夫を起点とし、その土地の文化や歴史、社会・経済に密接に関わっています。そのため、流通システムの大まかな性格としての流通構造は、国や地域によってユニークであることが少なくありません。
私が携わっているイギリスと日本の共同研究においても、両者にみられる流通現象には共通点もあれば、大きく異なる点も目立ちます。例えば、日本の小売業には小規模稠密性という構造的な特徴が見られます。皆さんのお住いの近所にも見られる商店街を構成する中小小売商は1980年代半ば以降、大きくその数を減らしていますが、そんな中でキラリと光るお店が現れたり、伝統をさらに磨き上げた老舗が異彩を放ったりすることで、まち全体に活気が生まれることもあります。小規模企業者とは、従業員20人以下、商業(卸売業・小売業)・サービス業においては5人以下の事業者を指します。
効率的な大量流通がもたらす流通サービスが私たちの日常を便利で豊かにしてくれていることは間違いありません。その一方で、各地の文化や歴史、社会に彩られた特徴を反映した中小小売商にも、私たちは独特の魅力を感じます。このように考えると、魅力的な流通システムとは、新しい地層と古い地層が織りなすモザイク的発展を遂げているものであるといえます。「流通近代化」という言葉がよくつかわれますが、新旧大小といった量的なバラエティと消費者に対する流通サービスの多様性に示される質的なバラエティが共存する形が、日本的流通システムの近代化のひとつの理想形かもしれません。ただし、その実現のためには困難なハードルの数々が待ち構えているという厳しい現実にチャレンジする必要があります。
地域多様性といえば、日本という小さな国の中でも次のような例が沢山あります。例えば以前、私が教員として赴任していた兵庫県では、隣接する加古川市と明石市でも、スーパーマーケットの品揃えに違いが見られました。加古川名物として知られる「かつめし」のキットが、隣の明石市ではあまり売られていないなど、外からは同じ文化圏だと思われている地域の中にも小さな違いが連綿と引き継がれています。
アメリカや西ヨーロッパ、北ヨーロッパから見ると、日本にはなぜこんなに生産性の低い小規模な地域スーパーマーケットがあるのかとよく議論されます。もちろん大規模スーパーもありますが、スーパーの分布をみるといわゆる「べき乗分布」になっていて、比較的小規模な地域スーパーが無数に存在しています。これは、まさに日本的な食の地域性と関係しています。日本が地域多様性に富んでいる一つの理由として、約260年にわたる江戸時代の幕藩体制の影響ではないかという説もあるほどです。幕藩体制下で各藩が資金調達のために特産品を発展させ、現在もその多様性が受け継がれているのではないかと考えられているのです。各地の特産品が大切に育まれ、守られてきたおかげで、私たちは豊かな食生活を享受できていると言えるかもしれません。ひとつ、例をみてみましょう。もともと緑茶の栽培と緑茶文化は中国から仏僧を介して日本に伝来したものです。日本では今でも各地に緑茶の産地が広がり独特の地域文化を醸成していますが、本場中国では緑茶文化は歴史の中で生存することができませんでした。現在では中国の製茶産業の専門家たちが緑茶を再評価するために日本を訪れています。これもなんとなく日本らしい話で面白いですね。
スーパーのべき乗分布(出所:東・三村・懸田・金・横山,2022)
日本だけではなくイギリスにおいても、地域による多様性は見られます。イギリスは「UK=United Kingdom」と呼ばれるようにイングランド・スコットランド・ウェールズ・北アイルランドの4つの地域で構成される連合王国であることから、地域によって社会的・文化的背景が大きく異なり、流通の特性、そして流通のあり方に大きな影響を与える生産と消費のあり方にも微妙な差異があります。このように流通には文化や歴史が色濃く反映されているのです。
石畳が魅力のエディンバラ市内もかつてはクルマがあふれかえっていましたが、現在では自家用車の乗り入れ制限とトラムの敷設により、「人間のまち」の表情が目立つようになりました。とはいえ、とくにコロナ禍以降はネットショッピングの普及や物価高で中心市街地の小売業はかつての賑わいを失っています。
現在最も注力している研究課題は2023年度に着手した日英共同研究ですが、このプロジェクトで取り扱うテーマは膨大なため、ここでは2023年度に研究機会をいただいた別の研究についてお話させていただきます。それは、日本の医療用医薬品の流通問題です。
東京・名古屋・大阪・福岡といった大都市部では、ドラッグストアや調剤薬局が集密立地し、中核機能をもった総合病院や先端医療を特徴とするクリニックなどの医療機関も充実しているため、医療用医薬品の安定供給にともなう流通費用は一般に低減されます。一方、東北の一部や山陰、北海道の都市部を除くエリア、長崎や沖縄など多くの離島をもつ地域、あるいは山間部による交通アクセス問題を抱える地方では、製造業に起因する医療用医薬品の深刻な供給不足が続く中、医薬品卸が経済的合理性を維持しながら病院・診療所や薬局への配送を実現することが極めて困難になっています。
どこに住んでいようと、必要としている人のもとに届くように、いかにして安定的に医療用医薬品を供給するための仕組みを維持することができるのか。すべての地域にあまねくサービスが行き渡り、なおかつ特定の流通機関に過度の負担を強いることを避けるためにはどうしたらいいのか。この課題の糸口の発見に資するべく、この研究プロジェクトに参画させていただきました。
具体的には、日本列島を1km四方で区切った3次メッシュや、さらに細かく500m四方で区切った4次メッシュを用いて調査・分析を行っています。3次メッシュあるいは4次メッシュの単位で地域を見た際に、4km圏内に病院や薬局があるかどうかが医療過疎地域の一つの目安となります。4kmというのは、公共交通でアクセスできる範囲の上限と考えられています。調べてみると、同じ都道府県、同じ2次医療圏(救急医療を含む一般的な入院治療が完結するように設定した区域)の中でも、医療アクセスの格差が生じていることが明らかになりました。そこで、医療用医薬品の流通コストが著しく高い地域と低い地域を洗い出し、なぜそうなっているのかを調査するため、医薬品の地域流通を支える役割を果たす医薬品卸へのアンケート調査を実施しおおよその見通しをつけたうえで、現地に足を運びフィールドワークをおこない、データからは必ずしも見えてこない現場の実態把握に努めています。
この研究課題も含め、現実の社会で生起する様々な問題にアプローチするので、研究対象にフィットした分析手法についての研究にも取り組んでいます。その一つが、社会科学領域を中心に用いられている比較的新しい手法である「質的比較分析(QCA)」です。「結果Aに至るプロセスが複数存在する」という前提に立ち、複数の原因条件の「組み合わせ」によって、ある結果が生じることを説明することを得意とする方法です。社会現象の多くは複数の要素間の複雑な関係によって生じています。また、同じような結果が生じているケースでも、そこに至る経路はバラバラということも珍しくありません。流通現象の多くには、こうした性格があてはまります。
現代社会の流通の仕組みを把握し、なぜそうなったのか、どのようにしてそうなったのか、過去から現在に至る経緯をとらえることで、この先の未来を理論・仮説を用いながら展望することができます。反対に、将来のために必要となる流通の仕組みを構想する中で、歴史的背景の理解がより深まる場合もあるでしょう。研究対象が膨大なため、流通の研究には多くの時間を要します。そのため、早く結果を出したいという気持ちの強い方にとっては、決して「コストパフォーマンス」が良い研究分野とは言えないかもしれません。しかし、長期的な視野で物事をとらえて探究できるのは、本分野の醍醐味です。
私はかれこれ25年にわたって、流通を専門分野として歩んできました。興味を持って取り組んだテーマから、さらに連結するテーマへと広がり、流通領域での関心がいくらでも湧いてくる。そんなふうに、常に新たな挑戦をする機会がある分野だと実感しています。特に近年はオンラインコミュニケーションの普及によって、国際共同研究も進展しやすい環境になり、挑戦の幅がさらに広がっています。(ただし、流通サービスを体感し、流通活動の舞台となる地域を訪れ、現地現物をもって学ぶことこそこの領域の大きな楽しみでもあります。)
学生の皆さんも、いつも好奇心を持って社会に向き合い、自分が解決したい、貢献したいと思える課題を見出していただきたいです。また、関心を持つだけでは長続きしないので、それを成し遂げるための基礎的な知識やスキルを楽しみながら身につけて、確固たる基盤を養ってください。その積み重ねを経て、20年後30年後に花咲かせられるような人になってもらえればと思います。
大学院博士課程と助手時代を支えてくれたカレー屋さん(エディンバラ市内)。ハリー・ポッターが書かれたカフェも至近でしたが、当時はハリー・ポッターよりも圧倒的にラム・ブリヤーニを選好していました。