私たちが生きている世界には、
身近なことから人類全体に関わることまで、
さまざまな問題が溢れています。
意外に知られていない現状や真相を、
本学が誇る教員たちが興味深い視点から
解き明かします。
私は、西洋の美術、とりわけ中世からルネサンスにかけてのイタリア美術史を専門に研究しています。私の研究対象は、一般的な意味での“芸術性の高い作品”だけにとどまりません。とりわけ「人々の暮らしや信仰のなかで息づいていた“イメージ”のあり方」に興味があり、その歴史人類学的な意義についても研究を深めています。
このコラムでは、このような視点から美術を鑑賞することの面白さについて、お伝えできればと思います。
ルネサンス期を代表する画家、サンドロ・ボッティチェリ(1445-1510)の代表作『ヴィーナスの誕生』や『春(プリマヴェーラ)』は、多くの人が一度は目にしたことがあるでしょう。現代においては美術館に展示されているこれらの作品は、実はフィレンツェの商人や銀行家の邸宅において、家具や調度品を彩るために描かれたものなのです。
ルネサンス期の名作の数々は、メディチ家をはじめとする富裕層の注文によって制作されました。当時の芸術家たちは、「鑑賞の対象」としての美術品だけでなく、パトロンたちの求めに応じて、宗教関係の絵画や彫刻のほか、家具調度品や祝典・儀式の装飾などのためにも作品を制作していました。とりわけメディチ家から絶大な信頼を得ていたボッティチェリは、彼らの要望を満たす作品を生み出す理想的な画家でした。
こうした家具や調度品には、目的や用途に応じて、さまざまなイメージが用いられました。その一例が、「カッソーネ(cassone)」と呼ばれる蓋つきの衣装箱です。婚礼用の調度品として製作されるカッソーネの外側には、婚礼の行列において一族の富を顕示するため、華美な彫刻や絵画が施された“公的”なイメージが描かれました。これに対して、婚礼後、夫婦の“私的”な寝室に置かれ、その秘められた視線のもとにのみ明らかにされる内蓋のイメージには、しばしば男女の裸体の肖像画が描かれているのです。
家系の継承を重んじる当時の社会において、婚礼は単なる「私的な慶事」ではありませんでした。それは政治的・経済的に“より優位な婚姻関係”を目指す、家系間の駆け引きであり、両家の結びつきを象徴的に示すための「公的儀礼」でした。そして婚姻においては、何よりも「世継ぎの誕生」が重視されました。健やかで美しい男児を産むこと、それは新妻にとって、家系存続に関わる何よりも重大な任務だったのです。
出産の場を彩る装飾といえば、一般に“寿ぎ”のイメージが思い浮かびます。しかしながら、ルネサンスの中・上流階級における出産の場面には、きわめて多様なイメージがしつらえられました。これらのイメージは、出産の場を装飾し、家格や豊かさを顕示し、子供の誕生を寿ぐだけでなく、宗教的勤めを助け、遊戯や実用に役立ち、家庭生活における教訓を伝授するとともに、多産や安産を祈願する“お守り”の役割も果たしていました。
出産盆(デスコ・ダ・パルト)は、妊娠した女性を祝福するための贈り物のひとつで、女性の寝床に、飲み物や食べ物を運ぶのに使われた実用品でした。裏面にチェス・ボードが描かれたものもあり、長い間ベッドで過ごすことを強いられた妊婦の気晴らしとしても活用されました。そして出産後には、世継ぎ誕生の記念として、また芸術作品として室内を飾ることもありました。
出産盆の表面に描かれたイメージには、「ヴィーナスの勝利」「愛の凱旋」「岐路に立つヘラクレス」など、女性の力を称える主題が選ばれました。これはおそらく、死と背中合わせにある出産という一大事に臨む妊婦を励まし、勇気づけると同時に、「新たな生命の誕生」という神秘的な出来事を支える力を宿していたものと考えられます。
一方、妊婦用の実用品のひとつであるマジョルカ産の器には、出産盆とは対照的なイメージが描かれています。出産盆の図柄が、宗教や神話、物語をモチーフとしているのに対して、マジョルカ産の器では、あからさまな世俗の出産場面が描かれているのです。出産用の椅子に腰かけた妊婦の脚の間から、今まさに産まれようとする幼児をとりあげる助産婦や侍女の姿が、生き生きとした臨場感とともに描写されています。こうした器は、使用時には蓋をして運ばれるため、器の内側に描かれた装飾を目にするのは妊婦と侍女という限られた人物だけだったのでしょう。だからこそこうした直接的な表現が許されたものと考えられます。
注目すべきは、出産盆やマジョルカ陶器などに共通して反復される、あるモチーフです。それは、出産盆の裏面や、陶器の裏底に登場する「裸体の幼児」です。幼児たちは、飛んだり、うずくまったり格闘したり、小便をしたりする姿で生き生きと描かれています。そのポーズや持ち物はさまざまですが、常に一貫しているのは、幼児が「裸体」で「男児」であるという点です。前述したとおり、家系を継承するために「健やかで美しい男児を産むこと」が何よりも大切だったことに照らせば、そのシンボルとしての「裸体の男児」のイメージには、健やかな男児の出産を促す“呪術的な力”が込められていたと考えられます。
これとは逆に、タブーとされたイメージもあります。怪物などの奇怪なイメージです。パリの外科医アンブロワーズ・パレは、著書『怪物と奇蹟について』の中で、「妊娠の際に母親が目にしたものは、何であれ胎児に影響を及ぼす」と主張し、出産中に“獣毛で覆われた洗礼者聖ヨハネ”のイメージを見たため、毛深い女の子を出産してしまった母親のエピソードを語っています。邪悪なイメージが母親の子宮を汚し、胎児に悪影響を及ぼす可能性については、当時の医学的権威も「視覚的伝染病」と呼び、警告していたほどでした。
日本でも、かつては「妊娠中に火事を見ると赤あざのある子が生まれる」「葬式を見ると黒あざのある子が生まれる」などの言い伝えがありました。妊娠中に「望ましいイメージを好んで見る」あるいは「望ましくないイメージを遠ざける」という考え方は、出産という行為が神秘的で、かつ命の危険と隣り合わせであることと深い関係があるのでしょう。人々は、健やかな子の誕生を願う気持ちを、出産にまつわる“イメージの力”に込めていたのです。
美術作品というと、私たちはまず「美しいもの」として鑑賞する対象だと考えがちです。しかし、「Art(ラテン語でars)」という言葉が「
現在では美術館に収められ、鑑賞対象として眺められている作品の多くは、かつては崇拝の対象であり、神への捧げ物であり、祝典や儀式のための装飾であり、生活の道具でした。
そして、それらに施されたイメージは、「呪術力」や「奇跡力」など、美的価値にとどまらない力を備え、見る者の心に、崇敬、畏怖、祈願、呪詛、魅惑……といった多様な感情をかき立ててきました。
私は、こうした近代以前の造形物を、伝統的な美術史学の手法で理解すると同時に、それらが、かつて人々の生活のなかでいかに息づき、いかに受容されてきたのかを、歴史人類学的視座から考え直したいと思っています。
それぞれの時代が、いかにイメージを生きてきたのかを問うことは、同時に、その時代が何を「美」としたのかを理解することにもつながります。西洋美術の歴史を辿ることによって「イメージと人間が取り結ぶ豊かな関係」について考えていきたいと思っています。
ぜひ皆さんも、作品の背景にある人々の「生活」や「思い」を感じてみてください。
(2018年掲載)