私たちが生きている世界には、
身近なことから人類全体に関わることまで、
さまざまな問題が溢れています。
意外に知られていない現状や真相を、
本学が誇る教員たちが興味深い視点から
解き明かします。
多くの人が組織人として企業に所属して働き、給与をもらって生活しています。これまで日本企業は、社員の力を組織の力に変換して、世界の中で戦ってきました。しかし現在、これまで強さを誇ってきた日本の企業の多くが弱体化の一途をたどっていて、日本の企業と組織人の関係は、大きな転換点を迎えようとしています。
最初に、これまで日本の企業が最も輝き、強さを発揮してきた時代を振り返ってみましょう。それは具体的にいつかというと、高度経済成長期からバブル経済が始まる前までではないでしょうか。
この時代は、経営者が持つ強い経営理念や価値観に賛同する人が、企業に集まってきた時代とも言えます。敗戦国ゆえに、当時はほとんどの日本人が自分の中に希望や、「こうあるべき」という価値観を持つことができていなかった時代でした。そうした中で、企業のあるべき姿・ヴィジョンを提示した創業者や、「日本を再興するために」という強い信念を持つ経営者に多くの人が惹かれ、同じ価値観を持つことを求めて企業に集まり、理念や思いを共有することで社員が一丸となって企業を盛り立てていったのです。松下幸之助氏の水道哲学などはたいへん有名な話です。
当時の日本企業では、経営者の理念を旗印に、仕事を分業化し、各仕事を最も効率良く成果を出すためにさらに細分化して、それを社員一人一人が一生懸命こなしていきました。こうした企業が、強くならないはずはありません。当然の結果として、日本企業は大きく成長していきました。社員の労働への対価は給料だけでなく、所属する企業への誇りや愛着、共感できる価値観も含まれ、その企業に属することが則ち、個人のアイデンティティであり、何よりも会社や仕事を優先的に考える、いわゆる「会社人間」をつくることにつながっていったのです。ここでいう会社人間はけっして悪い意味ではないと思います。
組織と個人の関係を論じる際に、よく使われる言葉があります。「交換(exchange)関係」と「統合(integration)関係」という言葉です。個人が労働を提供し、それに対して企業が報酬を払うというのが最も分かりやすい「交換関係」です。これは企業と個人、それぞれの考える価値が別であることを前提としています。しかし日本のこの時代は、企業と個人の価値を同じ方向にすり合わせた、いわゆる「統合関係」なので、報酬はそれなりに払うものの、むしろ同じ価値観を持つことが重要であり、それが双方にとって幸せだった時代なのです。
日本社会がどんどん豊かになり、バブル経済に突入するころから、個人が多様な価値観を持って仕事をするようになりました。「社長はこう言っているけれども、私が大切に思うものは違う」「会社には給料をもらうために行くのであって、本当にやりたいことは別にある」など、働く理由は人それぞれになり、また新卒で就職した企業に定年まで勤めるという、終身雇用制度が崩れ出したのもこのころです。
企業と個人との間でこれまで続いてきた「統合関係」は成り立たず、個人は企業に対する愛着で所属するのではなく、所属することによる利益を優先する「交換関係」が増えていきました。
そしてバブルが崩壊し、多くの企業が体力を失っていく中で、企業は利益を上げることができず、毎年のベースアップが不可能となるばかりか、ベースダウンにまで陥り、また年次に合わせて昇進させるという社員のキャリア管理も不可能になっていきました。企業が社員に提供する報酬が減っていったわけです。それに応じて、自分の理想に見合う報酬を求めて、別の企業へと転職をする人が徐々に増えていきました。
一方企業側は、人件費を削減するために、欧米型の成果主義を導入し始めます。優秀な社員は高い報酬を払ってつなぎとめを図り、見合う成果をあげない社員は容赦なく切り捨てる方式を採用したのです。
しかし成果主義の導入が、さらに日本企業を弱体化に導いてしまいました。なぜなら取り入れた成果主義が中途半端だったからです。
日本企業が取り入れた成果主義では、例えば若い社員が多大な成果をあげたとしても、年功序列の壁を越えて重役に就任したり、莫大な額の報酬を受け取ったりといった例はほとんどみられません。成功しても得られるものは、同期社員の中でのトップというポジション。「日本版成果主義」は、言い換えれば「同期間成果主義」であり、元々は強固であった、同期同士の横のつながりを崩壊させてしまいました。
日本の採用制度は、世界的にみても珍しい「春期新卒一括採用制度」です。一年に一回、新卒者だけを一気に採用するということが「同期」を強く意識させることにつながってきました。少し古い言い方になりますが「同じ釜の飯を食う」という、同期独特の一体感を生み出したのです。この日本独自の採用制度は、日本企業にとってこれまでは非常にうまく作用しました。同期は良きライバルとして競争し合う関係でありながら、友人同士のように励まし合ったり慰め合ったりする存在だったからです。企業の中で、互いの仕事に協力しながらも、自分も相手に遅れを取ることなく成果をあげるという思いで競い合うことができていました。例えて言うなら、高視聴率をあげたTVドラマ、『半沢直樹』の主人公を中心とした同期の間柄です。
しかし成果主義の導入で、同期の間で競い合うことばかりが顕著になり、支え合うことがほとんどなくなってしまいました。そのため、社員の一体感や、仕事に良好に作用する社内での良きライバル関係が失われてしまったのです。
これまで日本企業が強さの源泉としてきた、企業と個人の「統合関係」が崩壊し、さらに社員同士の一体感が失われ、価値観がバラバラとなっている中で、今後日本企業が再び力を取り戻すためには、企業と組織人とのどんな関係がふさわしいのでしょうか。いま、日本の企業風土に合う、新しい組織のスタイルが求められています。
企業が合理的に、かつ効率良く物事を進めようとするとき、これまでは上意下達が一般的でした。ただしそこには前提として、企業と個人の価値観の共有がありました。それがなくなってしまった現代において、単純な上意下達では、かつてのような高パフォーマンスは得られないと思います。
それでは、どうするか。私は今後、企業と組織人の関係として重要なのは「いかにクリエイティブに働くか、働かせることができるか」だと考えています。
企業側はまず、社員個人の異なる価値観を認める必要があります。働き方も含めた多様性を認めること。ここが出発点になります。
そして個人は、もっとオリジナリティあふれる考え方を表に出すこと。“自分らしい”考えだと思っていても、実は誰かの受け売りであることはよくあるものです。仕事に取り組む上で、「これはほかとは違う」と言える考え方や創造性を持つようにならなければなりません。
最初から自分独自の考え方や創造性を身につけることは難しいでしょうから、2段階踏んで、自分のスタイルを見つけるようにします。
まずは
これを私は「伝統志向」と呼んでいます。「伝統志向」とは、これまで多くの日本企業が培ってきた、仕事の効率を重視したシステマティックな働き方です。そしてこれが身についたと思ったら、どこかのタイミングで
ここがオリジナリティある考え方や創造力を生む段階になります。ここで言う「踏み出し方」にも、2つのパターンがあります。
その踏み出し方の一つが「独創指向」。もう一つが「共創指向(仲間をつくる)」です。「独創指向」は、自分一人でオリジナリティのあることをできる人が進むことの多いキャリアの進め方です。自分で発想し、賛同するスポンサーなども見つけることができる、何でも一人でこなせるタイプなので、ベンチャー企業を立ち上げるのに向いていると言えます。
もう一つの「共創指向(仲間をつくる)」は、企業の組織図に表される部や課の壁を越えて、気の合う人たちが集まって「この仲間だからできる、新しいこと」を生み出していくタイプの人たちに向いているキャリアの進め方です。アイディアを出し合い、刺激し合いながら、どんどん突き進んで新しい価値を創造していきます。
これからの時代においては、この「共創指向」にいる人たちを、企業は大切に育てるべきです。彼らは公式の組織図にあてはまらない「非公式組織」と言えるでしょう。これまで非公式組織と言うと、例えば飲み屋で会社についてクダを巻くグループに見られるように非生産的な場合があるので、企業サイドは「性悪説」に立つ見解が多く、存在を肯定的に受け止められていませんでした。ですが、今後はそんな非公式組織の一部が、企業を盛り立てていきます。
なぜなら「独創指向」は、アイディアは豊富に持っていても、自分一人で道が拓ける人なので、いつか独立してしまい、企業の利益につながらないケースも多いものです。しかし「共創指向」の組織人であれば、仲間がいるから面白いこと、新しいことができるのであって、ある程度はその企業にいることが前提となっています。仲間がすべて一緒に辞めることは、あまりありません。企業の上層部が、こうした人たちを把握し、良いパフォーマンスにつながるように、時間や予算、特権などを与えると、企業のブレイクスルーにつながると思います。その意味では、行き過ぎた内部統制を行っている企業は要注意です。
企業と組織人が互いに支援し、支援されるような組織、共に発展していくカタチが、今後の日本社会においては重要になっていくような気がしてなりません。こうした創造力ある組織人や非公式組織の“芽”を、企業は潰すことなく、大きな心で育てていくことが、これからの時代を生き抜く企業になるひとつの方策だと考えています。
(2015年掲載)