私たちが生きている世界には、
身近なことから人類全体に関わることまで、
さまざまな問題が溢れています。
意外に知られていない現状や真相を、
本学が誇る教員たちが興味深い視点から
解き明かします。
ある日突然、あなたの自宅に「裁判員」の呼び出し通知がきたら、どうしますか。「仕事があるのに、どうしたらいいのだろう」「家のことが忙しいから、行きたくない」など、様々な理由をつけて消極的な姿勢になってしまう人が多いのではないでしょうか。
「裁判員制度」は、国民の中から選ばれた「裁判員」が刑事裁判に参加する制度として、2009年5月21日に始まりました。これまで裁判官だけで行ってきた裁判に、様々な年代や職業から選ばれた裁判員が参加することで、これまでになく、国民の健全な意見を取り入れた裁判を行うことが可能になったのです。施行から3年が経ち、たくさんの刑事事件が裁判員裁判で裁かれ、裁判官、検察官、弁護士から様々な意見が出ています。私などは裁判員制度がさらによい制度となり、もっと国民が裁判に参加するべきだと考えています。
もともと私は日本の裁判でも「陪審員制度」をやるべきだと考えていました。戦前、昭和3年から15年間、日本でも「陪審員裁判」が行われていたこともあり、日本には「陪審法」という法律が眠っている状態です。その眠っている陪審法を復活させて、現代風にアレンジすれば、今でも十分に使えるのではないかと考える法律家もいますし、裁判所のしくみを定めた「裁判所法」には、「刑事について、陪審の制度をもうけることを妨げない」という記載があり、いつでも陪審員裁判が復活できるようにはなっているのです。そんな背景があるにも関わらず、戦後から近年まで、日本では職業裁判官だけで裁判を行っていました。私は法を勉強すればするほど、陪審員裁判の必要性を感じ、そんな中「陪審員裁判を考える会」という会に出会い、国民が参加する裁判が行えないかと、会とともに働きかけていました。
そんなとき1999年から司法制度改革が始まり、「司法の国民的基盤を拡大しないとこれからの司法は成り立たない」と、法律の専門家や裁判所内からも積極的に声があがり、試行錯誤の上、「裁判員制度」が確立し国民が参加する裁判が実現して、今に至っています。まずはこの「裁判員制度」について知ってほしいと思います。
最初に、どうやって選出され裁判員となるのか、裁判員としてどんなことをするのか、その流れを紹介しましょう。
「裁判員」は20歳以上の有権者(衆議院議員の選挙人名簿に登録された人)から、くじにより無作為に選ばれます。各地方裁判所の管轄内に居住する有権者の中から選任されるので、居住地以外の裁判所で裁判員に選ばれることはありません。「広範な国民の参加により、その良識を裁判に反映させる」という趣旨から、法律上、裁判員となることは義務とされています。ただし、国民の負担が大きくなることを回避するため、高齢であるとか、家族に介護が必要であるなど、やむを得ない事由がある場合、辞退を申し立てることができます。
下の表をご覧ください。裁判員候補者として選出されてからの流れは、大きく3つに分かれます。事件ごとに裁判員6人と、必要な場合は補充裁判員が2~3人、選出されます。
選ばれた裁判員6人(+補充裁判員)は、3人の裁判官とともに、1つのチームとなり、裁判を進めていきます。「裁判員裁判」では、「殺人罪」や強盗が人は死なせたりケガをさせたりする「強盗致死傷罪」、「身代金目的誘拐罪」や無謀な運転により事故を起こして人を死なせる「危険運転致死罪」など、重大な犯罪に関する刑事事件の第一審を行っていきます。
裁判員は、裁判に入る前に、裁判長から裁判員の職務や守秘義務などの説明を受けた後、宣誓をしてから、法廷に入ります。
法廷では下記の流れで、裁判が進んでいきます。裁判中、裁判官と裁判員は何度か評議室に入り、検察官や弁護人の意見や証拠について議論を重ね、判決を決めます。議論を尽くしても意見が一致しない場合は、多数決で結論を決めることになっています。そのとき、裁判官1人が賛同しないと、可決できない決まりになっています。
前出の流れで、現在「裁判員裁判」が進められています。裁判は3日で終るものもあれば、100 日続くものもあり、裁判員に選出された国民の負担は小さくはありません。裁判で拘束されている日は、1日1万円以内の日当が支払われますが、仕事を休んで参加していることは変わりなく、仕事への影響もあるでしょう。また、悲惨な事件の惨状を目の当たりにしたり、重大な事件の判決に参加したりしていることにより、精神的にまいってしまう人もいると聞きます。
しかしながら、裁判員制度が始まったことで、今まで「裁判官」「検察官」「弁護人」で行っていた裁判が変わりつつあります。専門家だけで行っていた裁判に、一般の国民が入ることにより、今まで法廷で当たり前とされていたことと一般常識との間にずれがあることを発見したり、様々な意見を聞くことで、その事件の持つ意味を深く実感することができるようになり、法廷に新しい風が吹いているのです。
裁判員制度を取り入れてから、変わったことと言えば、大きく2つあると言えるでしょう。ひとつは「求刑以上の刑が出る」こと。今までは、先例と経験の蓄積から作られた「量刑相場」という表を持ち、「このような事件の場合はこのぐらいの求刑が妥当だろう」と刑を決めていました。しかし一般の感覚では、それが妥当ではないことが明らかになったのでしょう。求刑以上の刑が出ることに関しては、裁判官も検察官も弁護人も驚き、特に弁護人には裁判員制度を否定する人もいます。
もうひとつは「保護観察付きの執行猶予が多くなった」ことです。これも単純な「執行猶予」よりも被告人にさらに重い負担を科すものと言えるでしょう。執行猶予なら、刑務所に収容しないで社会生活を送りながら一定の期間を経過すれば、もはや刑の執行を受けなくてもよいことになるが、それでは果たして「被告人は健全な生活が送れるのか」「普通の生活に戻ったら再犯するのではないか」という懸念を持つので、保護観察官や保護司についてもらい、生活を指導してもらうことが被告人にとって最善ではないかと考える裁判員が多いということです。
上記の2つの変化について、裁判に関わる裁判官や検察官、弁護士などの専門家の中でも、肯定的に受け入れる人、否定的に受け入れる人とに分かれます。私の知人の裁判官や多くの裁判官は「裁判員制度が始まって良かった」と言っています。この新しい風を止めてはいけないのです。
今後、さらに国民が裁判員として裁判に参加していくことが、裁判そして司法を変革していくのだと思っています。それには、この3年で分かってきた課題を解決し、よりよい裁判員制度を作ることが必要だと私は考えます。
ひとつは心のケアの問題です。裁判はやはりふつうの人にとって大きな心の負担になります。そこで、裁判員制度を作るときにも、カウンセリングによって心のケアをするようにお願いしましたが、現状ではまだ足りないと考えます。自分が参加した判決が本当に良かったのか、裁判後に長く悩む人もいますし、事件の惨状を見たことでしばらくしてからフラッシュバックの症状を起こす人もいます。本人が希望すれば、いつでもカウンセリングが受けられることが必要です。
また守秘義務の問題もあります。法廷内でのやりとりはオープンですが、裁判員は匿名であることもあり、評議室内での会話、特に誰がどんな意見を言ったのか、また多数決で下される評決の内訳がどうであったかは、オープンにしてはいけないことになっています。実際の運用は、施行前に懸念したいたところよりだいぶ緩やかになってはいますが、秘密を持つということが心の負担になることも大きく、裁判員として参加することに躊躇する人も多いでしょう。よりオープンな議論ができるよう声を上げていきたいと思っています。
上記以外にも、たとえば死刑を科す場合に多数決でよいのかどうかなど、様々な課題が見えています。裁判員制度施行から3年がたち、今は見直しを検討する時機に来ています。縮小するのか拡大するのか。もちろん私たちは拡大するほうに、声を上げていきます。「裁判員制度」によって、日本の裁判がより良くなっていること、そして「裁判員制度」が裁判において、大切な存在になっていることを知ってもらい、裁判員として呼び出しがきたときは、ぜひ裁判に参加してほしい。そしてその経験を市民レベルで共有してもらい、積極的に市民が裁判に参加していく社会を作っていきたいのです。
(2013年掲載)