私たちが生きている世界には、
身近なことから人類全体に関わることまで、
さまざまな問題が溢れています。
意外に知られていない現状や真相を、
本学が誇る教員たちが興味深い視点から
解き明かします。
近年、さまざまな国でジェンダー差別やジェンダー暴力に対する問題提起がなされています。日本国内でも、ジェンダー暴力をめぐる動きが活発化し、注目を集めるようになりました。例えば、性暴力をめぐる裁判で無罪判決が続いたことに抗議し性暴力の撲滅を訴える「フラワーデモ」が全国規模で行われました。東京オリンピック・パラリンピック組織委員会臨時評議会における当時の会長のスピーチがジェンダー差別にあたるとして国内外から批判を浴び、結果として会長辞任に追い込まれたニュースも記憶に新しいところですが、これには女性の人権を訴える市民団体などによる抗議も少なからず影響を及ぼしたと考えられます。
このような市民団体や女性活動家による運動は、極めて重要だと私は考えています。1998年、史上初の常設の国際刑事裁判所(International Criminal Court (以下ICC))を設立するためのローマ規程が採択され、その中にジェンダー犯罪についての進歩的な規定が多く盛り込まれました。例えば、強かんだけでなく、性的奴隷や強制妊娠、強制断種など、さまざまな形態のジェンダー暴力を、個別の戦争犯罪および人道に対する犯罪として、はじめて明示的に禁止しています。ICCが設立される前に、旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所やルワンダ国際刑事裁判所など、特定の紛争で起こった国際犯罪を裁くために、特別に設置された国際レベルの刑事法廷は、「政治的」、「人種的」、「宗教的」な理由に基づく「迫害」という人道に対する犯罪を裁く権限を有しましたが、ICCはそれより幅広い理由に基づく「迫害」を訴追することができ、その一つが「ジェンダー」です。このような進歩的な規定がローマ規程に盛り込まれた背景には、規程の草案が作成され、国際会議で草案の内容が交渉される過程において、女性活動家が専門的な知識を提供し、熱心なロビー活動を展開したことが大きく影響を及ぼしているのです。ローマ規程は、最終的には1998年のローマ会議で賛成120ヶ国(日本を含む)で採択された条約ですが、草案の最初から進歩的な規定が決まっていたわけではなく、市民たちが声を上げたことによってつくられたという側面もあるのです。ですから、市民が声を上げることは、とても重要だと考えています。
私は、主に国際刑事法と国際人権法の研究を行っていますが、それは東ティモール問題に関わるようになったことがきっかけでした。私はオーストラリア国籍なのですが、大学時代、オーストラリア政府が1975年からインドネシア軍による東ティモールへの侵攻と占領に加担してきたことを知りました。明らかに国際法に違反する軍事侵攻および不法占領に自分の国も加担していたことを知って驚き、大学を卒業して日本で暮らし始めた数年後、東ティモール連帯運動に関わるようになったのです。東ティモールの主権回復かインドネシアとの合併かをめぐり、1999年に国連が東ティモールで実施した住民投票の際、私は国連認可の監視員として現地に赴きました。こうした活動を通して国際法に関心を持つようになり、青山学院大学法学研究科で学ぶことにしたのです。本学の大学院を選んだのは、国際人権法や国際法学を専門としている、現在法学部長の申惠丰先生のもとで研究をしたかったからです。
大学院に進学後、次第に「ジェンダーと法」の関係にも興味を持つようになりました。もともと、東ティモール問題に関わるようになり、現地の女性から武力紛争下・占領下での性暴力の実状について聞いていました。大学院に入学後、この問題に対する国際法の役割を詳細に研究しはじめました。修士課程のとき、東ティモールを事例に紛争後の正義を考察し、その中で「東ティモール重大犯罪特別パネル」について調べました。1999年の住民投票では東ティモール人が独立を選んでインドネシア軍が結局撤退しましたが、それから2002年までは国連が東ティモールで暫定行政を担当しました。国連東ティモール暫定行政機構が設置したこの特別パネルでは、インドネシアによる東ティモール占領の最後の年に犯された虐待行為を裁きましたが、その中に性犯罪も含まれていることを知り、その部分に強く関心を持つようになったのです。当時の国際刑事法がどこまでジェンダー暴力を裁くことができるのか、ジェンダーの視点から国際刑事法のシステムは十分なのかについて詳しく調べたいと思い、本学の法学研究科博士課程で研究を進めていきました。
冒頭に述べたように、ローマ規程はジェンダー犯罪に関してかなり進歩的ですが、当初、検察局の活動が十分にそれを生かしていないのではないかという批判もありました。ICCの最初の公判は、2006年から始まったルバンガ事件でした。コンゴ民主共和国のイトゥリ地方における紛争に関わっていた武装勢力の指導者を裁いた公判でしたが、そのとき検察局が主張した犯罪は極めて限定的なものでした。児童兵士を徴集して武装勢力に編入し、この中には少女もいて性暴力を受けていた証拠があったにもかかわらず、それについては訴因として扱っていないのです。ICCにはジェンダーについての適切な規定があるにもかかわらず、なぜそれを使わないのか、という批判が起こりました。
しかし、その後、検察官はより積極的にジェンダー犯罪について捜査・訴追することを試みるようになり、特に近年のケースでジェンダー規定の可能性をより積極的に探っている傾向を確認することができます。そこで、2つの事件について見てみましょう。一つは、2021年2月に有罪判決がくだされたオングウェン事件についてです。2005 年、ウガンダの反政府武装勢力の幹部オングウェンに対して逮捕状が出されていた際、ジェンダー犯罪が容疑の中に含まれていなかったのですが、オングウェンの身柄がICCに引き渡された2015年から予審裁判部による犯罪事実の確認手続き(公判に進むために十分な証拠があるかどうかなどを確認するための手続き)が始まる翌年までの間に、ICCの検察局はさらなる捜査を行い、さまざまな形態のジェンダー犯罪の訴因を追加したのです。その中には「人道に対する犯罪」として、および「戦争犯罪」としての「強制妊娠」も含まれており、2021年2月にこの犯罪について有罪判決が出たのは最初のケースとなりました。強制妊娠の被害に関する報告があった(例えば、ボスニア紛争において)にもかかわらず、旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所など、ICCが設立される前の国際レベルの刑事裁判所では規程に盛り込まれていなかったため、個
もう一つ注目すべきケースは、現在ICCで公判中のアル=ハサン事件です。このケースは、検察官が人道に対する犯罪としての「ジェンダーに基づく迫害」で起訴し、裁判に付した最初の事件となります。「迫害」という人道に対する犯罪は、文民たる住民に対する広範または組織的な攻撃の一部として、特定の集団に属することを理由に、人々の基本的人権を著しく剥奪する行為です。ICCの前に設置された国際刑事法廷は「政治的」「人種的」「宗教的」な集団に対する迫害を裁く権限を有していましたが、「ジェンダー」に基づく迫害を裁けるのはICCが初めてです。この犯罪を裁くことの意義はアル=ハサン事件で示されています。このケースはイスラム過激派集団がマリ共和国のトンブクトゥとその周辺地域を占拠した際、地元の住民を抑圧・虐待したことについて、武装集団のメンバーで宗教警察の事実上の長官だったアル=ハサンの刑事責任を問う裁判です。検察官の主張によると、イスラム過激派集団が厳格なイスラム法を適用し、礼拝・教育・娯楽・服装などを厳しく規制して住民の公・私生活を支配していました。厳格なイスラム法を強要して服従しない者を厳しく罰するこの状況はすべての住民を標的にする「宗教に基づく迫害」になりますが、その状況の中で女性のみを標的にする「ジェンダーに基づく迫害」もありました。例えば、女性の服装に関する規則が特に厳しく、体を完全にカバーするブルカを着用すべきで、従わない場合、殴られたり、投獄されたりし、性暴力を受けることもありました。それとは対象的に、男性のズボンの長さについての規則がありましたが、イスラム過激派集団はズボンが長すぎる男性を捕まえた場合、その場でズボンを切るだけの処分にしました。ICCがこのような状況を「ジェンダーに基づく迫害」として裁くことができるのは、被害の本質を捉え、女性が受けた特有の被害を宗教に基づく迫害と同様に深刻で国際犯罪として罰すべき行為であることを示す点で、とても重要なことです。
上で述べたように、アル=ハサン事件は公判に入っている段階で、まだ判決は出ていませんが、判決が下されるときに注目すべき重要な点の一つは、裁判部が「ジェンダーに基づく迫害」について審理するにあたって、「ジェンダー」をどのように解釈するのか、ということです。「ジェンダー」という言葉は、男性・女性にはどのような振舞い・役割・服装などが適切か、恋愛・性的感情をどの性に向くのが「普通」か、などの男性・女性についての社会的に構築されている観念や期待を指す、ということが一般的に認められています。ただし、ローマ規程の内容についての交渉が行われていたときに、「ジェンダー」の定義についての合意がなかなかできなかったため、最終的に曖昧な定義が採択され、ICCの裁判官にその解釈を委ねることになりました。採択された定義は、「この規定の適用上、『性(gender)』とは、社会の文脈における両性、すなわち、男性及び女性をいう。『性』の語は、これと異なるいかなる意味も示すものではない」ということですが、これは単に生物学的な性差を意味するのか、もしくは、男性・女性についての社会的に構築されている観念や期待を意味するのか、結局、裁判官が決めることになります。後者の解釈になった場合、トンブクトゥでイスラム過激派集団が「女性がこうであるべき」という考え方に基づいて女性の権利を著しく剥奪した状況を「ジェンダーに基づく迫害」として裁くことが可能になります。
アル=ハサン事件における「ジェンダー」定義の解釈の仕方は、ICCが、武力紛争などで性的マイノリティがその属性を理由に標的にされた状況(例えば、イスラム国が行った男性同性愛者に対する処刑)を「ジェンダーに基づく迫害」として裁けるのかどうかについても影響を及ぼします。そういった暴力を「殺人罪」などとして裁くことがもちろんできますが、それだけでは事の本質を捉えることはできませんので、ジェンダーに基づく犯罪として裁くことが望ましいはずです。
国際刑事法と国際人権法の条約は、最終的に国が締結するものですが、どのような内容になるのか、また、締結されてからその可能性がどこまで生かされるのかについては、市民団体や草の根の運動がとても大切な役割を果たします。学部や大学院の授業では、国際法を学問的に扱うと同時に、その事実と「いかに主体的に考えるか」を重視しています。物事を主体的に考えて行動すれば、状況を変えることができるし、世界を変えることもできます。そうした認識を学生に持ってもらいたいと思っています。例えば、主要な人権条約にはそれぞれ委員会が設置されており、その委員会は締約国が条約上の義務を果たしているのか監視する役割を担っています。監視する方法の一つは、「個人通報制度」です。これは、この制度を認めた国に関して(残念ながら、日本はまだ認めていません)は、条約上の権利が侵害されていると考える個人が委員会に直接申し立てることができるプロセスです。かつてオーストラリアのタスマニア州では、男性同士の同意のもとでの性行為は犯罪でしたが、ゲイの男性が、これは自分のプライバシーに対する干渉で自由権規約に違反するのではないかと委員会に通報し、委員会が主張を認めました。それが主なきっかけの一つとなり、タスマニア州の法が変わりました。こうした事実を知ると、最初からあきらめずに権利をきちんと主張していけば、世界を改善できるのではないかと思えてきます。大学の授業で法律を学問的に扱うことはもちろん重要ですが、それに加えて、主体的に考え行動することで世界を改善できる可能性に気づく機会を提供したいと考えています。
国際人権法や国際刑事法に進歩的な部分が存在する理由の一つは、多くの市民団体や活動家が熱心な活動を通して良い方向にしてきたことにあります。これは私たち人類の宝物だといえます。だからこそ、それを活用して社会をより良い方向へと進めるべきです。法律を活かすことで、社会を改善することができる。それを知ることが、大学での学びでは大切だと考えます。
私のこれからの研究テーマとしては、引き続きICCの活動を注視しながら、性的マイノリティの人権を守るための国際刑事法の可能性について、さらに研究を進めていきたいと考えています。ローマ規程の内容、特に「ジェンダー」の定義についての交渉が行われた際、ゲイやレズビアンの人権を認めることに対して強硬に反対する一部の国もあったことが示すように、女性の人権よりも性的マイノリティの人権を護る方がよりいっそう困難な場合もありますが、研究を進めることで少しでもその状況が改善されることに貢献できればと思っています。あきらめず、主体的に考え行動すれば、世界は変えられる。そう信じています。(2021年4月掲載)