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世界を読み解くコラム

  • 文学部
  • 文人画の“こころ”を旅する
  • 出光 佐千子 准教授
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中国発の文人画が日本独自に発展

私が研究対象としている文人画とは、元々は中国・唐宋時代に士大夫(官僚)などの知識人階級が描いた絵を指します。職業画家ではない、アマチュア人たちが描いたものとはいえ、知識人階級ならではの豊かな教養に裏づけられた詩・書・絵からなる芸術作品です。当時の中国の官僚の中には、志をもって君子に仕えたものの、意見が合わずに対立して、結果政治の場から退いていった者たちも多く、なかば現実逃避のようにのめり込んでいった文人画の世界は、彼らの挫折感や無念さを表現する芸術だったといえます。

 

やがて文人画は日本にも伝わり、江戸時代中期の京都を中心に広まりました。中国にあこがれた儒学者や画家、漢詩人、俳人など、ジャンルを超えた教養人たちが集い、茶の湯や酒を嗜みながら中国の芸術作品を鑑賞して楽しみ、やがてそれらを真似て自らも漢詩や絵などを生み出すようになります。中国で生まれた文人画が、日本の文化的サロンの中で豊かな遊びとして開花していったのです。

 

日本の文人画には、観る者を思わず笑わせるような作品が少なくありません。中国の文人画に見られる官僚たちの屈折した精神性とは異なり、自由な水墨画の表現のひとつとして捉えられたために、知的好奇心に溢れた文化人たちの談笑の輪の中から数々の名作が誕生しました。禅の教えである「呵々大笑」、笑うことで無心になり、邪念を払拭するというおおらかな精神が、日本の文人画には流れているのです。

 

私が長年研究し続けている池大雅(1723-1776)は、江戸時代を代表する文人画の巨匠のひとりですが、たとえば「瓢鯰図(ひょうねんず)」(出光美術館所蔵)という、瓢箪で鯰(なまず)を押しつぶしている絵ひとつとっても、そこにはおおらかな笑いの精神を読み取ることができます。元になっているのは、「まるくすべすべした瓢箪で、ぬるぬるした鯰をおさえとるには如何に」という禅問答に対して相国寺の画僧・如拙が描いた「瓢鮎図(ひょうねんず)」(退蔵院所蔵)です。これに対して大雅は、捕まえられないのならいっそつぶしてしまえ、といわんばかりに巨大な瓢箪を鯰の上に載せて押し付けている絵を描いています。絵に添えられた漢詩は、大雅のパトロンでもあった大典和尚によるもので、『荘子』を引用しながら「叶わないことを望むのが人間であるが、その無用のところに本当のはたらきがあるのだ」という意味のことが書かれています。大雅と和尚が笑い合いながらこうしたコラボレーションを行っていたのではないかと想像できます。さらに、添えられた大雅のサインも、まるで鯰のぴんと張ったヒゲと呼応するような独特に崩れたタッチで書かれている。大雅は、面白い描線を追求して、時に筆ではなく指で描いたといわれていますが、文人画は美術本来の技巧から逸脱したところに面白さがあり、プロの職業画家にはない自由な創造力によって生み出される芸術だということがわかります。

池大雅の風景画に秘められた謎

私が池大雅の作品と出会ったのは、大学院で日本美術史を学んでいる時でした。円山応挙の作品を観るために通っていた東京国立博物館で大雅の「楼閣山水図屏風」を目にした時、波のうねりの中に巻き込まれるような感覚に襲われました。その時、初めて絵を「観る」のではなく「体感」したのです。そこから大雅の研究に没頭するようになり、イギリスに留学してセインズベリー日本藝術研究所のフェローとして3年間を過ごし、大英博物館にも席をいただきながら日本美術の調査研究や文人画の展示企画などにも携わりました。日本では大雅に関する文献の山に埋もれながら思うように論文が書けない状態が続いたのですが、イギリスで宗教・歴史・地図・文学など、さまざまな分野の「日本学」を対象としている研究者と接するうちに、「私は視覚芸術を研究テーマにしているのだ。文献や資料を相手にするのではなく、作品自体と向き合うべきだ」と改めて気づいたのです。

 

そこで、大雅が中国の風景を描いた「西湖春景・銭塘観潮図屏風」を読み解くために現地を訪ねることにしました。鳳凰山に登ると銭塘江と西湖を一望できますが、中国・北宋の文学者で政治家の蘇軾が西湖について詠んだ詩「飮湖上初晴後雨(西湖は晴れた時も雨が降った時も美しい)」は、この鳳凰山の頂上で詠まれたものとされ、大雅はこれをヒントに霧雨に煙る「西湖春景」を描いたのではないかということがわかってきました。また、「銭塘観潮図屏風」では、月の引力によって起こる海嘯(かいしょう)を虹色で描いていますが、これは蘇軾が詠んだ「海の神が東からおしよせる勢いは靄(もや)を吐き出し盛んなものだ」という「八月十五日看潮五絶」の詩の一首と符合します(漢詩で「靄」は虹を意味します)。若い頃から旅と登山に魅せられた大雅は、そこで培った景色を見る術を応用しながら、実際には見ることのなかった中国の雄大な風景を、さまざまな版本や漢詩などからヒントを得て創出したのだと読み解けたのです。

「西湖春景・銭塘観潮図屏風」/池大雅 江戸時代、東京国立博物館所蔵

(出典:国立博物館所蔵品統合検索システム https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-1195?locale=ja

 

 

中国・宋の時代の山水画家、宗炳(そうへい)は、晩年、病の床にありながら、かつて歩いた風景を思い出しながら山水画を描いて楽しんだといいますが、大雅も同様に、文人画を通して「想像上で旅をする」楽しみを当時の知識人たちに与えていたといえるのではないでしょうか。今でいう「バーチャル・トラベル」のようなものかもしれませんが、1枚の絵の中で無限に広がる旅を体感させるさまざまな仕掛けを施していたのです。

 

実はこうした大雅の創造性は、19世紀の印象派の画家たちと重なるとの指摘もあります。1957年、パリの芸術新聞『ラール』紙では、後期印象派の画家・スーラと大雅の絵が並べられ、両者の点描の類似性が論じられています。しかし、スーラの点描が光学的な知識に裏付けられたものであるのに対して、大雅のそれは、自然の中から獲得した素朴な技法です。大雅は屏風絵などの大作を描く際、家の外に白い砂を敷き詰め、降り注ぐ陽の光のもとで制作したといわれます。うつろう光を表現する点描は、このような環境から生まれたものだと考えられますが、印象派の画家よりも100年前にこうした技法を獲得していたことには驚きを隠せません。

文人画の重層的な仕掛けを読み解く

俳人として著名な与謝蕪村(1716-1783)は、一方で文人画家としての才も知られていました。なかでも、傑作といわれる一作が国宝「夜色楼台図」です。この絵に記された題詞は、中国・明の時代の文人、李攀龍(りはんりょう)が中国の楼台の景観を眺めながら、病気のために官職を辞して故郷に帰った友人に思いを馳せて書いた詩を元にしたものであることが最近になってわかっています。友人の身を案じつつ、世渡り下手で学究肌だった李攀龍自身の思いも込められた詩を元に、蕪村は冷たく厳しい政治の中枢である中国の楼台から、京都・東山の麓に広がる暖かみのある都会の雪景色へと変換しているのです。

 

また、よく観ると、朱塗りの壁と行灯がちらつく2階の座敷は、格子戸を開け放った日本の遊郭に似ているとの指摘もあります。当時、蕪村は島原の茶屋を「雪楼」と呼び、芸妓・小糸にたいそう入れ揚げていたそうですが、この絵を観た人々は、2階で小糸と雪見酒を楽しむ蕪村の姿を想像してほくそ笑んでいたのかもしれません。

「国宝 夜色楼台図」/与謝蕪村 江戸時代 個人所蔵

(『江戸絵画の文雅―魅惑の18世紀』展図録(出光美術館 2018年)より転載)

 

文人画には、言葉、絵、または言葉と絵の関係性、あるいは描かれていないその奥にあるものなど、さまざまな仕掛けが重層的に張り巡らされているため、それらを読み解いていくことへの興味は尽きません。研究対象として、これほど奥深い美術作品もないのではないでしょうか。創作の背景を知ることは、作品を読み解くためのヒントにはなりますが、「これが正解」という答えが明確にあるわけではなく、観る者がいかようにでも解釈して構わない自由度があるところも、文人画の懐の広さといえます。読み解いてもなお謎が深まる文人画の探究の旅は、これからも続きます。

混乱の世に求められる美術の力

私の祖父で出光興産株式会社創業者の出光佐三(1885-1981)は、近年映画化もされた『海賊とよばれた男』のモデルとしてご存じの方も多いと思いますが、仙厓(1750-1837)をはじめとする日本美術に傾倒し、数多くの作品を蒐集(しゅうしゅう)していたことでも知られています。1966年、これらのコレクションをもとに出光美術館が開館し、私は2019年4月に第3代目館長に就任いたしました。

 

佐三がその作品に魅せられた仙厓は博多聖福寺の住職で、禅の教えをわかりやすくユーモラスに表現した作風で有名です。出光コレクションの第1号となった仙厓の「指月布袋画賛」には、「お月様幾つ十三七つ」という童歌が書され、子供が両手を挙げて喜んでいる様子が描かれていますが、これも禅の教えを説いたものだといわれています。佐三はこの絵を社員に対する訓示としてよく使っていました。禅僧にとって経典を読むことは指先を見るようなもので、その先にある真理を悟ることこそが重要だというのです。すなわち、布袋が指している指先だけを見るな、その向こうにあるはずの「描かれていない月」を見なさい、と。

「指月布袋画賛」/仙厓 江戸時代、出光美術館所蔵

 

 

さて、私が館長に就任してようやく1年というタイミングで新型コロナウイルスの感染拡大が起こりました。国内外の美術館や美術展、美術イベントが中止や延期に追い込まれ、出光美術館も休館を余儀なくされました。いま、未知のウィルスに対する不安や恐怖に対して美術館には何ができるのか、多くの美術関係者が模索している最中だと思います。

 

そこで思い出すのが、アメリカの著名な美術蒐集家であるエツコ&ジョー・プライス夫妻が2011年の東日本大震災直後に被災地の人々を励まそうと開催した東北巡回展のことです。プライスコレクションを代表する伊藤若冲の「鳥獣花木図屏風」(現在は出光美術館所蔵)を目玉としたこの展示は、傷つき打ちひしがれた被災地の人々の心を癒しました。その年、出光美術館では『大雅・蕪村・玉堂と仙厓―「笑」のこころ』と題した展覧会を開催。自粛ムードで気持ちがふさいだ人々を明るく励ましたいとの思いから、副題に「笑(わらい)のこころ」と付け、多くの来館者に喜んでいただきました。美術作品には、人の心を癒し、解放する不思議な力がある。そのことを再認識させられる出来事でした。近年、この「鳥獣花木図屏風」を含むプライスコレクションの一部が新収蔵品として加わった出光美術館が、今後果たすべき役割は大きいと思っています。

 

『大雅・蕪村・玉堂と仙厓―「笑」のこころ』展覧会チラシ

 

 

いまは大勢の方たちに実物の作品を観ていただくことが難しい状況ですが、美術業界ではバーチャル・ミュージアムのような新たな試みも検討されています。しかし、私がかつて大雅と出会った時のように、やはり美術作品は実物を観て「体感」することが大切だという考えに変わりはありません。筆の動きや筆圧を感じることによって画家の心がダイレクトに伝わってくる。それが、その人にとって貴重で得難い「体験」になると信じています。(2020年9月掲載)

あわせて読みたい

  • 「池大雅筆 『西湖春景・銭塘観潮図屏風』の主題考察―図様と文学的典拠を探る」 出光佐千子著 『MUSEUM』599号(東京国立博物館:2005年)
  • 「池大雅筆 『松蔭観潮・夏雲霊峯図』屏風の主題再考察」 出光佐千子著 『國華』1354(國華社:2008年)
  • 『池大雅 中国へのあこがれ―文人画入門』 小林忠監修(求龍堂、2011年)

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  • 出光 佐千子 准教授
  • 所属:青山学院大学 文学部比較芸術学科
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