AGU RESEARCH

世界を解き明かすコラム
ー 研究者に迫る ー

私たちが生きている世界には、
身近なことから人類全体に関わることまで、
さまざまな問題が溢れています。
意外に知られていない現状や真相を、
本学が誇る教員たちが興味深い視点から
解き明かします。

  • 経済学部
  • 数十年先の人口分布を町丁・字単位で予測し
    都市計画や防災計画の
    基礎となるデータを提供する
  • 井上 孝 教授
  • 経済学部
  • 数十年先の人口分布を町丁・字単位で予測し
    都市計画や防災計画の
    基礎となるデータを提供する
  • 井上 孝 教授

少年時代に熱中した人口統計

私が研究している人口学は、出生や死亡だけでなく進学、就職、結婚、退職やそれに伴う移動などのライフイベントごとに人口を観察し、日本や世界で起きている人口問題の解決をめざす学問です。その中でも、私は特に地域人口学を専門としています。国勢調査といった公的統計を用いて人口の分布や移動を分析したり、推計値を算出する数式モデルを開発したりしています。

 

人口学は、SDGsが掲げる貧困や食糧、資源エネルギー、自然環境といった地球規模の課題のすべてに関連します。経済活動を行うのも、環境問題を引き起こすのも人間です。その人間を集団で観察する人口学は、SDGsの課題解決に直結する分野と言っても過言ではありません。

 

私が人口学や地理学に興味をもったきっかけは、少年時代までさかのぼります。当時はパソコンもインターネットもない時代で、年鑑の付録や地図帳などに掲載されていた、世界や日本の人口統計を眺めては夢中になっていました。日本の都市を人口の多い順に順位付けして紙に書き出し、なぜこの都市はこんなに人口が増えるのだろうかなどと考えていた、「人口オタク」ともいうべき少年でした。中学生になると数学にも関心を寄せ、将来の夢は数学者か地理学者と考えるようになりました。2つの学問は一見関連が薄いように思えますが、地理学においては統計やデータ解析に数学を用います。私は大学時代に統計学を学び、大学院では地理学の中でも数学を取り扱うことの多い人口地理学を専攻しました。まさに少年時代に熱中した人口統計に関わる分野を大学院で専攻することになったわけです。現在、専門としている地域人口学は人口地理学とオーバーラップするところが多く、いずれにしても地域的な人口統計を扱う研究職は自分にとって天職であったと考えています。本学にてその天職に就くことができたことは最高の幸運だったと感じており、そうした機会を与えてくださった青山学院大学には深く感謝しております。

新たな手法で小地域別の将来人口推計システムを実現

近年取り組んでいるのは、数十年先までの全国における小地域別(町丁・字別)の将来人口推計、およびそれに関するウェブシステムの構築に関する研究です。少子高齢化に対応する政策を国や自治体が立案する際、こうした小地域別の人口推計を必要としていることを痛感し、研究を始めました。公的な地域別将来人口推計の最小区分はこれまで市区町村単位にとどまっており、さらに市町村合併によって広域化が進んでいたため、より小さい単位の推計へのニーズが高まっていました。しかし、世界中を見渡してもそのような推計は今まで存在していませんでした。その理由は技術的な課題があったからです。一般的に、将来人口推計には、コーホート変化率法(ある年に生まれた人々の集団=コーホートの、ある期間の人口変化に基づいて将来人口を推計する方法)が採用されています。この方法の最大の問題は、推計するエリアが狭いほど統計指標が不安定になり、些細な要因で推計値にぶれが生じてしまう点です。また、推計する対象期間が長期になるほどぶれは増幅され、場合によっては50年後の推計人口が現在の数値の10倍~100倍になることもあります。

 

この問題を解決するために、人口学者や統計学者がさまざまなスムージング(平滑化)の手法を提案してきました。例えば、空間的に平均をとる手法は、対象地域を含む周辺地域全体の平均値をその対象地域の値とすることでスムージングを行います。しかし、周辺地域から対象地域までの距離が全く考慮されない点がネックとなっていました。

 

そこで私は、人口地理学の古典的な理論である「人口ポテンシャル」の考えを採用した新しい手法を提案しました。人口ポテンシャルとは、「地域Aに対する地域Bの人口学的な影響力は、地域Bの人口に比例し、地域AB間の距離に反比例する」という原理のもとで、地域Aにはたらく周辺地域の影響力の総和を定義したものです。こうして、対象地域から距離が近いほど強く影響し、遠いほど影響が弱まる方程式を立てることができ、小地域別の将来人口推計が実現したのです。

人口ポテンシャルを利用するスムージング手法を本格的に発表したのは、2015年にオーストラリアのブリスベンで開かれた第8回国際人口地理学会です。英語での発表は苦心しましたが、その発想が評価されポスター賞を受賞しました。さらに、その推計結果をESRIジャパン株式会社の協力のもと、「全国小地域別将来人口推計システム」としてウェブ上に無償公開すると、研究者からの反響はさることながら自治体やインフラ関連の業者からも問い合わせが寄せられました。図1はそのシステムの画像の一例です。

 

図1 首都圏付近の高齢化率(65歳以上人口割合)の変化(上段2020年、下段2065年)

注:「全国小地域別将来人口推計システム」ver3.0のスクリーンショットから作成

※2020年時点では水色(10~20%)や黄緑色(20~30%)が目立ったが、2065年時点では黄色(30~40%)やオレンジ色(40~50%)の地域が広がり、首都圏で急速な高齢化が進むことがわかる。

世界で通用するウェブシステムの構築をめざす

「全国小地域別将来人口推計システム」は年齢・性別ごとの人口増減を狭いエリア単位で表示できるので、私が想像していた以上の範囲で活用されています。例えば、上下水道の施設配置計画にはそのような小地域別の将来人口推計が大いに役立ちますし、周辺の商圏人口がどのように変化するのかが詳細に分かるのでデパートなどの商業施設建設時にも参考となるでしょう。小学校や幼稚園の建設予定地といった都市計画を立てる際にも利活用できると思います。私自身もいくつかの応用研究を行っており、例えば小地域別に将来の無居住化のリスクを検証したり、洪水浸水想定区域の高齢化の予測をしたりする研究も行っています(図2)。

図2 全国における洪水による浸水想定域・非浸水想定域別高齢化率の推移

(2010~2060年)

出典:井上・和田編著(2021)198ページの図9-4から一部抜粋

※「全国小地域別将来人口推計システム」にアップロードされているデータから作成した。横軸の数字は年次(2000年代の下2ケタ)を表す。こうした図は小地域別の推計人口がないと作成できない。この図によれば、全国の高齢化率は2045年を境に浸水想定域が非浸水想定域を上回ることがわかる。

 

現在は、さらに日本以外の国や地域を対象としたウェブシステム構築を進めており、すでに米国ワシントン州台湾について同様のシステムを公開しています。(図3:台湾版の画面の一例)今後は、まずは環太平洋諸国を対象としたシステムを展開し、その成果を互いにフィードバックして、世界への適用をめざしています。特に発展途上国では日本のように人口に関する詳細なデータがそろっていないので、解決すべき課題が多く残っていますが、新たな手法の開発を行うなどして「小地域別の人口推計と言えば、井上だ」と評判になるくらい有効なシステムの構築を目標に、努力を続けたいと考えています。

図3 台湾版小地域別将来人口推計ウェブマッピングシステムの初期画面

注:同システムver1.0のスクリーンショットから作成

※すべて英語での表記となっている。日本版と同様に高齢化率、人口密度、年平均人口増加率等を小地域別に表示できる。

大学という知の大海に臆せず飛び込んでほしい

今回の研究では多くの反響がありましたが、細分化された学問分野において、社会的なインパクトを残すのはそう簡単なことではありません。数式モデルの開発といった基礎的な研究は、小さな発見を少しずつ積み重ねた先に、将来人類の発展に貢献できる大きな成果につながるものです。普段の研究生活においては多様な視点で対象を見つめ、気づきを大切にしています。

 

新たな手法を生み出す際には、壁にぶつかって進捗が得られないことがしばしばです。そんな時は机に向かって集中するだけでなく、起きてから布団に入るまで、いつも頭の片隅で課題について考えていると、入浴時や家族との団らんなどのふとしたタイミングでアイデアが浮かびます。誰も考え出していない新たな人口指標を発表できた瞬間が研究の一番の醍醐味です。

 

私は研究者をめざして興味のあるさまざまな学問を追究してきました。学生のみなさんにも、大学という名の「知の大海」に臆せず飛び込んでほしいです。青山学院大学にはあらゆる分野の専門家がそろっているので、あなたの知的好奇心を満たしてくれるはずです。知の海原に漕ぎ出せれば、学術の世界の深いところまでたどり着けます。まずは初めの一歩を踏み出してください。(2021年10月掲載)

あわせて読みたい

  • “A new method for estimating small area demographics and its application to long-term population projection”.(pp.473-489), Inoue, T. 著 The Frontiers of Applied Demography, Applied Demography Series 9, Swanson, D. A. 編(Springer International Publishing Switzerland,2017)

  • 「「全国小地域別将来人口推計システム」正規版の公開について」井上 孝 『E-journal GEO』第13巻,第1号,pp.87-100 (公益社団法人 日本地理学会:2018)
  • “An examination of the risk of becoming uninhabited at the small area scale: Using data from the web system of small area population projections for the whole Japan” 75(4). (pp.421-431) Journal of Population Problems, Inoue, T. and Inoue, N. 著(National Institute of Population and Social Security Research,2019)

  • 「台湾版小地域別将来人口推計ウェブマッピングシステムの公開について」(pp.257-274)井上 孝 著 『青山経済論集』第72巻,第4号(青山学院大学経済学会:2021)
  • 「洪水浸水想定区域の人口学的特性」井上 孝 著 『自然災害と人口 人口学ライブラリー20』井上 孝・和田 光平 編著(原書房:2021)

青山学院大学でこのテーマを学ぶ

経済学部

  • 経済学部
  • 井上 孝 教授
  • 青山学院大学 経済学部 現代経済デザイン学科
研究者情報へリンク

関連キーワード

関連コンテンツ

  • 会計プロフェッション研究科
  • 経済活動あるところ「会計」あり
  • 八田 進二 教授
  • 「会計」ときくと「お金の計算」「経理や財務に関わる特定の人が学ぶ学問」と考える人が多いだろう。しかし本来「会計」とは、「経済活動を正しく説明する」ことであり、「複眼的な思考を養う」ことから多くの人に学んでほしい学問である。本コラムでは「会計とは何か」を説くとともに「会計を学ぶ」意義を語る。(2013年掲載)

  • 経営学部
  • 幸福の経済学
  • 亀坂 安紀子 教授
  • 経済学は、これまで「物質的・金銭的な豊かさ」に議論の焦点をあてることで発展してきた。しかし、個人の豊かさや幸せを測るには「精神的・主観的な要素」も無視できないという議論の高まりから、経済学でも近年急速に「幸福」の概念を扱うようになってきた。本コラムでは、なぜ経済学で「幸福」を扱うようになったかを説き、「幸福」についての分析事例をあげたうえで、「幸福の経済学」の意義と今後の可能性を探る。(2016年掲載)

  • 国際マネジメント研究科
  • 鉄道は生き残れるか?
  • 福井 義高 教授
  • 昨年は東海道新幹線開業50周年、今年の3月14日には北陸新幹線が開業し、今夏からリニア中央新幹線の着工が予定されているなど、鉄道に関する話題がにぎやかな昨今。しかし、人口減少時代を迎え、輸送量が減少する中、これ以上、日本全国の鉄道を整備し、発展させることが本当に必要なのだろうか。本コラムでは、鉄道が置かれている現状を直視し、今後の鉄道のあり方について考察する。(2015年掲載)

関連コンテンツ

  • 経営学部
  • TPPは我が国に何をもたらすか?
  • 岩田 伸人 教授

  • 経営学部
  • 幸福の経済学
  • 亀坂 安紀子 教授

  • 経済学部
  • アベノミクスは日本経済の救世主なのか
  • 中村 まづる 教授