私たちが生きている世界には、
身近なことから人類全体に関わることまで、
さまざまな問題が溢れています。
意外に知られていない現状や真相を、
本学が誇る教員たちが興味深い視点から
解き明かします。
私は国際関係論を専門分野とし、文化人類学的な視座に立ったフィールドワークを研究手法として取り入れています。修士課程時代の恩師は、文化人類学者でありながら国際協力を研究されていました。当時から国際関係論を専攻していた私は、あえて恩師とは逆の立場からアプローチすることで、互いにとらえ切れない部分を補い合えるのではないかと考えました。つまり、国際協力を基盤に据えながら、文化人類学の方法論を組み込む現在のスタイルです。その経験が今日の研究の原点となっています。
研究において最も重視しているのは、「当事者になる」姿勢です。春季・夏季の長期休暇を利用し、まずは研究対象とする地域社会の一員に加わります。その時点ではどのような問題が存在するのかも見えない白紙の状態です。現地で暮らし、日常を共にする中で、小さな違和感や何気ない疑問を見つけ出します。そして国際的な議論と現場の実態を比較しつつ、最終的に両者を結び付けて体系化していくのです。研究は長期にわたり、想定外の事態も日常茶飯事ですが、ネガティブにはとらえません。むしろ新たな発見と出会う絶好の機会だと考えています。
主な研究拠点は、インドネシアの西ティモールです。東ティモールは2025年10月にASEAN加盟国となった独立国家ですが、西ティモールはインドネシア領のまま今日に至ります。九州より面積が小さいひとつの島に、2つの国・地域が共存するこの場所を舞台にフィールドワークを行っています。西ティモールのある村では、人々がタマリンドという果実を拾い集め、業者に渡すことで収入源としています。その現金化のプロセスを調べるために、収集業者と行動を共にしたケースがありました。彼らとの会話で語られる仲間内の評判や仕事の実情は、開発プロジェクトの評価などは見過ごされがちな「生きた情報」です。こうした声にふれるには、互いの信頼関係を真摯に築かねばなりません。私は相手の話を聞く前に、まずは自分自身について話すように心がけています。日常の話題を共有できる友人が各国に増えていく点は、本研究手法の魅力のひとつと言えるでしょう。インドネシアには家族ぐるみの付き合いがある40年来の友人もいます。活動を通して築き上げてきた人間関係は、私の掛け替えのない財産です。
東西ティモールは同じ民族・言語でありながら、複雑な歴史的経緯によって分断されました。植民地支配や数々の戦争・紛争を経験し、現在は難民問題も抱えています。まさに国際政治の課題が凝縮しているといっても過言ではありません。国際社会の動向に翻弄されてきたこの小さな島には、これまで十分に耳を傾けられてこなかった住民の声があります。SDGsの理念は「誰一人取り残さない」ですが、では「すでに取り残されている人々」は一体どうすればいいのでしょうか。彼らはいわばマイナスからのスタートとなっており、何等かの配慮が必要であったにも関わらず、現実は必ずしもそうはなっていません。西ティモールに限らず、スーダンやイエメンなど、日陰の存在になりがちだった国や人々に、何らかの形で国際協力という光を届けること。その可能性を模索し続けたいと考えています。

20年以上足を運んでいる研究拠点の村にて。長く交流してきた友人たちと一緒に
私は2005年まで大手ゼネコンに勤務していたのですが、想定外の赴任となったタイのバンコクでODA関連のインフラ整備事業に携わる中で、国際協力分野の仕事に魅了され、国連職員に転職しました。また、バンコクには、国連のアジア太平洋経済社会委員会を始め、多くの国連機関のアジア本部があり、仕事上や私生活でも多くの国連職員の方との接点がありました。彼らが全くバラバラな国籍の人々とチームを組んで、ひとつの問題の解決を目指している姿はとても眩しく感じられ、いつしか自分も国連職員にチャレンジしたいと思うようになりました。国連職員となって最初の赴任先は西ティモールで、その後にスーダンやフィリピン、イエメン、アフガニスタンなどで仕事をしました。国連職員としての活動は充実していたものの、容易ではない国際人道支援の現実にも直面します。仕事が計画通りに進んだゼネコン時代とは異なり、物事が思うように進展しない状況が続きました。自分のスキル不足を痛感したことから、専門性を高めるために働きながら大学院で学ぶことにしたのです。
そこで前述の文化人類学者の恩師と出会ったのですが、当時はまだアカデミアの道に進むつもりはありませんでした。働きながら大学院の課程で学ぶことは、研究時間も就業時間後に限られ時間的制約の中で行わなければなりませんでした。また勤務条件が厳しい地で働く国連職員に与えられる休暇も全て研究に注ぎ、専門性を高め現地のために尽力したいという思いで両立させました。ただ、研究事例が目の前にあるということは、かなり恵まれている環境だったとも言えますし、研究のフィールドワークを通して友人も増え研究以上に得るものもありました。結局、仕事を続けながら博士課程を修了しました。
数年後に研究者を志したのは、日本の国際的な立場がかつての「与える一方の国」ではなくなりつつある現状に直面し、その変化を若い世代と共有する必要性を感じたからです。さらに、「世界の中の日本」を多角的にとらえたいという関心が芽生えたことも大きな動機となっています。
最新の研究では、西ティモールの華人(かつて今日の中国より移民した人々の子孫)に焦点を当てています。先ほどのエピソードに登場したタマリンドの収集業者も実は華人です。オランダの植民地時代に中国から渡来した彼らは、主に商人や流通業者として重要な役割を担っていました。長い歴史の中で華人に対する排斥運動や暴動も起こりましたが、現在では顕著な社会問題は見られません。西ティモールは、インドネシア第2の都市であるスラバヤの経済圏と密接に関連していますが、その関連性は、長い年月をかけてさまざまな問題と折り合いを付けながら華人が築いてきたネットワークです。国際協力の新たなサプライチェーン(供給連鎖)を構築する過程では、援助の恩恵を受ける人々とそうでない人々との間に分断が生じやすく、社会的摩擦も避けられません。ならば、長年にわたり地域で機能してきた在地の華人ネットワークを、もっと活用する方策を検討すべきではないでしょうか。華人は様々な印象を持たれていますが、華人ネットワークの活用がより現地の社会にとって有益かつ公平な開発方法につながるということと、彼らが地方で果たしてきた社会的、経済的役割の一端も明らかに出来ればと考えています。

町で生活雑貨卸売業を営む華人の友人と
以前、私のゼミナール(ゼミ)にマレーシアで4カ月間にわたりフィールドワークを行った学生がいました。同国はマレー系、中国系、インド系など多様な民族が共生する多文化国家のため、争いが起きないよう互いに深く干渉しない文化的概念「ポジティブな無関心(Positive Indifference)」があるとされています。しかし、現地で暮らしながら多くの住民にインタビューしたその学生が出した結論は、「決して無関心ではなく、互いを認めて尊重し合う気持ちが社会の中で機能している」というものでした。たとえ民族や宗教、生活習慣が異なっても、最終的に向き合うのは一人ひとりの人間・人格であり、相手を理解しようとする姿勢こそが最も重要なのです。
私が専門とする国際関係論の主要なアクターは国家や国際機関です。しかし、私のゼミでは市民の日常に焦点をおいて、研究をしています。日本国内にもグローバルな事象の影響を受けている人々は多く、研究課題はふんだんにあります。ゼミ生の中には、日本は外国人をより多く受け入れるべきなのか、またそうではないのかを悩みながら埼玉県川口市のクルド人コミュニティーでフィールドワークに取り組んだ学生もいました。私がインドネシアでのフィールドワークで感じることと、学生がマレーシアや日本でのフィールドワークで体験していることは多分同じで、「皆同じ人間だ」とあらためて実感しているのだと思います。ゼミでは研究に加えてさまざまなボランティア活動にも取り組んでおり、学生たちは現場での出会いや交流を通して、人間関係を築くことの重要性を体感しています。
地球社会共生学部は、国内外の多様な環境に置かれた人々の現実に目を向け、そこから問いを見いだしたいと考える皆さんを歓迎します。出発点は漠然とした問題意識で構いません。探究心を常に大切にしながら4年間を歩んでください。そうすれば、大学での学びの一つひとつが思いがけない形で結び付き、やがて確かな軌跡として実りをもたらしてくれるはずです。