AGU RESEARCH

世界を解き明かすコラム
ー 研究者に迫る ー

私たちが生きている世界には、
身近なことから人類全体に関わることまで、
さまざまな問題が溢れています。
意外に知られていない現状や真相を、
本学が誇る教員たちが興味深い視点から
解き明かします。

  • 理工学部 物理科学科
  • 分子レベルで生物の仕組みを
    解き明かすことが、新たな物理法則の発見につながる
  • 富重 道雄 教授
  • 理工学部 物理科学科
  • 分子レベルで生物の仕組みを
    解き明かすことが、新たな物理法則の発見につながる
  • 富重 道雄 教授

生命の謎に物理学で迫る

これまで物理学は古代の研究者たちに始まり、数多くの研究者らによってさまざまな謎が解き明かされてきました。その一方で、生物に対する物理学的アプローチは近代まであまり盛んに行われてきませんでした。いわば「未知な領域」として扱われてきたのです。

1944年、著名な物理学者であるシュレディンガーが著書『生命とは何か 物理的にみた生細胞』において、物理学を用いて、例えば熱力学の観点から生物・生命とは何かを捉えなおそうという試みを行いました。その頃から生命を物理学で解き明かそうという動きが活発化し、若い物理学者が分子生物学への関心を高めていきました。私自身、物理学に関心を抱いて入学した東京大学で物理と生物の境界となるこの領域に触れ、「生物も物理学を通して理解できるはずだ」と大いに刺激を受け、この領域の研究へと足を踏み入れることになったのです。

このように生物物理学の歴史というのは、まだそれほど長くありません。日本では生物物理学会設立に貢献したお一人である大澤文夫先生が、1960年代にウサギの筋肉から分子を取り出し観測することで筋収縮を担う「アクチン」の重合の仕組みを解き明かしました。それにより、一分子レベルでの観測精度を高めていくことで、既存の物理では説明できない何かがあるのではないか。つまり、新しい物理法則を見出す可能性が生命には満ちているのではないかということが、強く示されていったのです。

例えば、熱力学におけるエントロピー増大の法則では、物質は時間とともに無秩序な状態が増し(エントロピーが増大し)、いずれは崩壊することが示されています。しかし、私たち生体は決して時間が経ったからといって秩序が失われることはありません。まるでエントロピー増大の法則に逆らった存在です。このように生命にはこれまでの物理学では説明できないようなことが、数多く潜んでいます。それを研究によって見出し、新しい理論を確立していくということは、これまでの理論を拡張していく営みとなるでしょう。50年前の人々は、今のように世界中の人がICT(情報通信技術)を活用した世界は想像していなかったかもしれません。しかし、当時もそうしたテクノロジーのもととなる量子力学の研究は進められており、技術の「タネ」はまかれている状態でした。今はそれが花開いた時代です。同じように、我々には50年後がどういう社会になっているのか想像はつきませんが、現代の研究で生命の不思議に向き合い、それを解き明かし新たな物理法則を確立していくことが、きっと未来の技術の「タネ」になっていくだろうという想いがあります。生物物理学は、未来へつながる大きな鍵となる学問だと考えています。

細胞の配送業者「キネシン」

そうした生物物理学の中で私が研究対象としているのが、細胞の中に存在しているタンパク質「キネシン」です。

細胞はおよそ数10マイクロメートルの大きさの中で、場所ごとにさまざまな役割を担っています。その中には新しいタンパク質を作り出す場所もあるのですが、誰かが作られたタンパク質を各々が働く場所に運んでいく必要があります。その輸送を担うのが「キネシン」です。いわば細胞の中の配送業者であり、微小管というレールの上を、荷物を抱えて運んでいくのですが、その動き方が特別で、二本足を交互に前に出してまるで歩くように進んでいくのです。

分子一つ一つを可視化して直接観測する「一分子計測法」を用いてキネシンの動き方はかなり解明されてきました。いまや欧米の研究者の中には「調べられるものは調べられつくしたんじゃないか」「キネシンの研究は山を越した」と思っている方もいらっしゃいます。しかし、私はそうは考えていません。むしろ『ここからが本番』だと考えています。今、ようやく私たちはスタート地点についたのです。

たしかに私たちはキネシンの動き方を検出し、理解することに成功しました。でもそれは、動きを絵に描くことができるようになったに過ぎません。果たしてエネルギー論的にどういう反応が起こっているのかは、まだ説明できていません。私たちが目指すべきは生物の研究を通じて、そうした新しい物理を解明することなのです。

例えば、キネシンの「足」の動きはミリ秒単位の反応で起こり、一歩はおよそ20ミリ秒で進みます。しかし従来の一分子計測による撮影技術では100コマ/秒(10ミリ秒で一コマ)が限界。つまり画像2枚で一歩進んでしまうのです。それでは細かな足の動きを理解することはできません。もっと高速に観測する技術が必要だと考えた富重研究室の我々は、分子に付加する蛍光色素の代わりに金微粒子を用いることにしました。これにより観測精度は大幅に向上し、20,000コマ/秒(0.05ミリ秒で一コマ)で撮影できるようになったのです。そうすると、キネシンの足がどのように動いているのかが、より細かく精緻に観測できるようになりました。

「ゆらぎの世界」とラチェット

キネシンは数ナノメートルという極めて小さな存在なので、私たちマクロの世界で作用する重力や慣性といった物理法則が通用しない世界にいます。キネシンが動くのは、高速に飛び交う水分子など、さまざまな分子との衝突による影響を大きく受ける「ゆらぎの世界」です。ですからキネシンの足も動物のようなしっかりとした動きではなく、後ろにあげた足がぶらぶらと揺れながら、あるきっかけで前にブンッと大きく振り上がって着地する。そんな動きを繰り返していることが見えてきました。

わたしたち人間が暮らすようなマクロな世界の機械は、不規則なゆらぎがあれば正確な動きが実現せずに困ってしまいます。しかし分子世界の機械(ナノマシン)であるキネシンはそのゆらぎを活用して運動エネルギーに換えているのです。その変換を生み出しているのが、一方向にしか動かない羽や歯止めのような機構、ラチェットです。ある方向に大きく力が加わった際にはその力を動力に換えながら、逆方向には戻らないような仕組みとなっているのです。

マクロの機械にようにしっかり硬いものではなく、ふにゃふにゃのタンパク質であるキネシンの駆動はそのように熱ゆらぎやラチェットによって実現していることが見えてきました。しかしその運動エネルギーがどのような形や条件で、どんな風に生み出されているのかを知るためには、もっと観測精度を高めていく必要があります。例えば足の運びの観測です。金微粒子を棒状にした金ナノロッドというマーカーを付加することで、キネシンの足の角度を観測し、そこからゆらぎによるタンパク質の構造変化を見出していくなど、現在も私たちはさまざまなチャレンジを続けています。

そもそもマーカーを付加すること一つとっても、極めて細かな正確さが求められる繊細な作業で簡単なことではありません。けれど、「キネシンは人間と同じように歩いているね」で理解を止めてしまっては、私たちは新しい物理法則へたどり着くことはできません。妥協せず、追究の手を止めないことによって、ナノマシンの新しい仕組みを解明すれば、それは例えば50年後の未来に新しい技術へ応用され、社会の発展につながっていくかもしれません。私たちの研究は、未来のさまざまな発想を生み出す「タネ」となっているのです。

新しい物理学、そして未来の「タネ」へ

私たちの体は、キネシンのようなナノマシンが集まることによって構成されています。しかし、人間が自分の手でナノマシンを作ろうと思ってもそれは大変です。マクロな機械に設計図があるように、ナノマシンには遺伝情報に設計図が入っていて、それによって生物は低コストでナノマシンを正確に作ることが出来ている。それも巨大な機械と分子世界の機械の大きな違いです。しかし、なぜ遺伝情報があると精緻なナノマシンが低コストに作れるのでしょうか。

ナノマシンがゆらぎから運動エネルギーを引き出している仕組み、あるいは極めて巧妙なラチェットを作り出している仕組み。そうした、今後我々が解き明かすべきターゲットが遺伝情報には含まれています。私たち研究者は、この遺伝情報に含まれる設計図をこれからどのように定式化して法則性を見出し、そして理解を深めていくか。今まさに情報と物理の狭間に立って模索している最中です。

物理の世界では、観測対象をある程度の時間放置しておくと一定の温度や体積などを維持する状態になる、そのことを「平衡」と呼びます。これまでの物理科学は正確にこの仕組みを解説しています。しかし生物は常にエネルギーを取り込み、排出し、「非平衡」な状態を繰り返している存在で、既存の物理はこの解説を不得意としています。

さらに「非線形」という考え方もあります。線形システムというのは、ある観察対象を部分ごとに分けて、それぞれの部分を観察して最後につなぎ合わせれば全体の理解につながるという考え方ですが、生物はそうではありません。例えばタンパク質にエネルギーの素となるATP(アデノシン三リン酸)がくっつくと、まったく関係ない場所に大きな変化が現れる。部分ごとの観察をつなぎ合わせただけでは全体の理解につながらない「非線形」な存在で、これも既存の物理学は説明を得意としていません。

この「非平衡」と「非線形」は、これまでの物理学で解き明かしてきた物質と生物を隔てる大きな違いです。しかし逆に言えば、生物の謎を解き明かして「非平衡」と「非線形」の物理学的理解を深めていけば、そこには新しい物理学が構築される余地が大きく存在しているということになります。そこで確立した新たな知は、量子力学が工学やITを大きく発達させたように、新しい物理を通じて未来を大きく発展させる「タネ」となっていく可能性が満ちています。

世界のブレイクスルーは、まだ分かっていないことがあるきっかけで分かるようになった際に生まれていくものです。そして生物の世界を物理の目で見た時には、そこにはまだ分かっていないことがたくさんあります。生物物理学の発展は、今後、工学的にも医学的にも大きく社会に寄与していくことになるだろうと考えています。

あわせて読みたい

  • 『「生きものらしさ」をもとめて』大沢文夫 著(藤原書店:2017)
  • 『生物物理学』鳥谷部祥一 著、大塚孝治、佐野雅己、宮下精二 編(日本評論社:2022)
  • 『1分子生物学』原田慶恵、石渡信一 編(化学同人:2014)
  • 『非平衡統計力学−ゆらぎの熱力学から情報熱力学まで』沙川貴大 著、須藤彰三、 岡真 監修(共立出版:2022)

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