私たちが生きている世界には、
身近なことから人類全体に関わることまで、
さまざまな問題が溢れています。
意外に知られていない現状や真相を、
本学が誇る教員たちが興味深い視点から
解き明かします。
あなたは1年間にどのくらい旅行をしますか? 観光庁の2009年の「旅行・観光産業の経済効果に関する調査研究」によると、年間一人当たり、旅行回数は2.72回、宿泊日数は2.08日と推計されています。
日本国内の旅行消費額のトータルは25.5兆円で、右の図のように日本人の国内宿泊旅行による消費額が約70%を占めています。国内旅行では、日帰り旅行の方が数は多いのですが、その消費額は約20%程度しかありません。宿泊をともなわない旅行では、大きな経済効果を期待できないことがよくわかります。また近年では、海外から旅行者を呼び込もうと様々な取り組みをしていますが、その消費額をみるとまだ約5%を占めるに過ぎません。
最近、よく日本人の海外旅行離れが指摘されています。景気が良くないことも理由のひとつではあると思いますが、旅行以外のレジャーの選択が増えていること、知らない言語圏での生活の不安から内向き志向の若者が増えていることも否めません。下の表、日本自動車工業会が2008年度に出した「乗用車市場動向調査報告書」によると、ここ20年間の間に、海外旅行が興味関心事として順位を下げていることがわかります。
ところで「旅行」「観光」と言う言葉には、楽しいイメージがある一方、「旅」と言うと「お遍路さん」の修行など苦しみをともなうイメージがありませんか。英語でも同じです。「旅行」や「旅行記」などと訳される「travel」は、「苦労して旅する」というのが語源です。これに対して「sightseeing」や「trip」などは、楽しいイメージがありますね。そのような様々な用語の中から、観光関係者たちは、観光に行く側と受け入れる側の両方を意味する言葉として「tourism」(ツーリズム・観光)という言葉を定着させたいと考えています。
もともと日本語の「観光」という言葉は、儒教の経典『易経』の一節「観国之光 利用賓于王」(国の光を観る もって王に賓たるによろし)からきていて、「国の威力を観たり、観せたりする」という意味を持って生まれました。幕末時代の軍艦「観光丸」(現在、長崎港内クルージングでレプリカが活躍)は、国威の象徴として、外国に対し「幕府の威信を示したい(光を観よ)」という強い思いから名付けられました。今では、平和をイメージさせる「観光」という言葉が、「軍艦」という正反対のイメージをもつものに付けられ生まれたとは興味深いですね。
そもそも「旅」は、世界的には古代ギリシア・ローマ時代から存在します。神話における神殿の参拝など宗教的なもの、オリンピア祭のように競技会開催におけるもの、そして地中海のデロス島やミコノス島での保養的なものなどがそうです。日本でも「漢委奴国王」の金印が伝わるように、弥生時代から政治的な意味合いでの渡航があったり、「お遍路さん」のように強い宗教心からの巡礼などがありました。しかし、それらは「旅」で、そもそも楽しさを追求する目的ではなかったと言えます。また、ごく一部の貴族や政治家など、特別な人だけに許された行為だったとも言えるでしょう。
「旅」から「観光」へ。貴族から富裕層、さらに一般大衆へ。楽しめるものとなった「観光」は、産業革命から100年程を経た1860年代頃から、めまぐるしく変革してきました。それは約50年ごとのサイクルで大きな変革期を迎えており、現在が第四次変革期の真っただ中です。この変革期「観光ビッグバン」について、下記の表にまとめてみました。
旅行産業全体を考えると、第一次変革期に登場したトーマス・クックの存在はかなり大きいと言えます。団体での格安チケットや、目的地までのアトラクションを考えたり、印刷業の経験を活かして旅行のチラシを作ったり。近代旅行業の始まりであり、現在のパッケージツアーの原型を作ったと言ってよいでしょう。
余談ですが、1872(明治4)年に世界一周ツアーを催行したトーマス・クックは、イギリスからアメリカを経て、日本にも立ち寄りました。トーマス・クックの記録には、日本についての記述が残されています。ひとつは「瀬戸内海の風景は、ヨーロッパにあるすべての湖の最も良いところを、1カ所に集めたくらいすばらしい」ということ。さらに「牛肉がおいしかった」。そして最後に、トーマス・クックが日本で買ったもの。人が人を乗せて引く車が新鮮だったのでしょうか。人力車をいたく気に入り、あんなに大きいものをお土産として買い求め、日本を旅立ったということです。あのトーマス・クックが日本にこのように感動していたという記述を見ると、今の日本も、より観光に力を入れるべきではないかと考えます。
歴史的に見ても、経済的に発展した国の「観光」はのきなみ発展しています。経済が発展すると、国民にも余裕ができ、国内をはじめ海外への「観光」に目を向けるようになるのも確かです。もう一方で、「観光」が「貿易」としての役割も果たしていることも関係しています。右の表を見てください。日本人が渡航し、海外でお金を使うことは、モノの「輸入」と同じことになります。反対に、外国人が訪日し、日本でお金を使うことは、モノの「輸出」と同じです。このお金の動きで見た観光的「輸入」は「アウトバウンド・ツーリズム」、そして観光的「輸出」は「インバウンド・ツーリズム」と言われています。
1980年代、アメリカの貿易赤字の多くが対日赤字であったため、日米貿易摩擦が激しくなりました。1970年代初めに約20億ドルであった対日貿易赤字は、80年代半ばには約500億ドルにもなってしまいました。アメリカからは、理屈に合わない対米貿易黒字削減要求がありましたが、日本も急にはこれを減らすことはできません。そこで目をつけたのが、「経常収支」(下の表を参照)の一項目である「サービス収支(当時は貿易外収支)」でした。
「サービス収支」は、日本のアウトバウンド・ツーリズムがインバウンド・ツーリズムを大きく上回り、赤字がずっと続いていたので、「貿易収支」と「サービス収支」の2つを合わせて考えれば、経常収支で見た対米黒字が小さく見えると考えたのです。そこで政府は、国際観光の視点から見た貿易摩擦の解決策として、海外旅行者を5年間で1000万人に倍増するという「テンミリオン計画」(1987年)を実施しました。円高に加えてこの政策もあり、それまで以上に日本人の海外旅行者が激増したのが、右の図を見ていただければ一目瞭然です。世界でも例を見ない「アウトバウンド促進政策」は4年間で目標を達成し、また輸出の自主規制や、現地法人を作り雇用を生むといった施策と合わせ、アメリカとの貿易摩擦は次第に収束していきました。本来、経常収支についてはもう少し注意深い議論が必要ですが、「観光」も「貿易」のひとつとして、日本経済に大きな役割を果たしていることがわかると思います。
天然資源に乏しい日本は、戦後様々なモノ作りをして高度成長を果たしました。モノ作りの代表格「松下電器(現:パナソニック)」を一代で築き上げた松下幸之助は、まさに盛んにモノを作っていた1950~60年代にこんな発言をしています。(『松下幸之助発言集Ⅰ』より)
「日本は今まで、工業立国、農業立国と申しておりますが、私は観光日本として、観光立国を徹底しなければならないと思うのであります」
「基本的には日本は観光立国に徹しなければならない。したがってただちに観光大臣のようなものをおき、観光省をもうけてそれ相当の予算をとって、それで外貨の獲得をしなければならないと思います」
政府は「21世紀の日本の経済社会の発展には、観光立国の実現が極めて重要である」と、「観光立国推進基本法」を2006年に成立させ、また2008年には「観光庁」も発足させ、「観光立国・日本」を目指して積極的な政策をとるようになりました。まさに松下幸之助の予言通りになったのです。
1980年代は日米貿易摩擦への対応策の一つとして、アウトバウンド政策に徹した日本政府でしたが、1990年代に入った頃から右の表のように、インバウンド政策に力を入れ始めました。特に小泉内閣時代(2001年~2006年)は観光政策を推進させるための礎を築き、特に「ビジット・ジャパン・キャンペーン」は、訪日外客数を増やす原動力となっています。
日本の四季や景色、仏閣など、今まで観光資源とすぐ思いつくものの他に、日本のアニメやゲームなども観光資源となり、今やそれを目当てに訪日する外国人旅行者も多くなってきました。しかし最初に述べたように、日本国内での旅行消費額の中で、訪日外国人旅行者の割合は約5%にとどまっています。今後の伸びが期待できるターゲットと言えるでしょう。
地域ならではのグルメが、今「B-1グランプリ」として人気になっているように、今まで気付かなかった観光資源が、日本にはまだまだ眠っているかもしれません。各地域が観光資源を見つめ直し、観光客を国内外から呼ぶことが、これからの日本の経済社会の発展には欠かせないのです。「観光」によって生み出されたお金が経済の中をめぐっていくパワーは、公共投資や科学技術投資、情報投資などのジャンルと肩を並べるくらい力強いのです。これからの日本の経済社会にパワーを与えてくれる「観光」に、ぜひ関心を持っていただきたいと思います。
(2012年掲載)