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世界を解き明かすコラム
ー 研究者に迫る ー

私たちが生きている世界には、
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  • 地球社会共生学部
  • 心に平和の砦(とりで)を築く
  • 福島 安紀子 教授
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「文化の力」に気づかされた、折り鶴のエピソード

私の専門分野は「国際政治学」「国際関係論」「国際安全保障論」です。研究の一環として紛争解決(conflict resolution)についての調査を行う中で、強く印象に残る体験がありました。

 

旧ユーゴスラビア紛争後の1998年、私は、現地の平和維持、平和構築について調査するため、ボスニア・ヘルツェゴビナを訪れました。ある日、現地の中学生にヒアリングを行うため、首都サラエボから西へ2時間ほど車を走らせた町の中学校を訪問しました。普段、生徒たちは民族別に分かれて授業を受けていますが、この日はヒアリングのため放課後一堂に会していました。私は彼らに、紛争の経験、いま何を考えているのか、将来はどのように生きたいのかなどについて聞き、最後に、彼らからの質問を募りました。すると、1人の男子生徒が手を挙げました。

 

少年は、英語の授業で『鶴―禎子の祈り』という物語を習ったと話してくれました。この物語は皆さんもご存じでしょう。1945年、広島市に投下された原子爆弾によって2歳で被爆し、10年後に白血病で亡くなった少女、佐々木禎子のストーリーです。少年は、この話にとても感動し、「紛争の痛手から立ち上がろうとしている自分たちも、平和への祈りをこめて鶴を折りたい。ぜひ折り方を教えてほしい」というのです。

 

ノートの紙をちぎって、悪戦苦闘しながら伝えること2時間余り。それまで、ボシュニャク(ムスリム)系、クロアチア系、セルビア系と民族別のグループで固まっていた子どもたちが、いつの間にか「ここはこうしなくちゃだめだよ」「ここはどう折るんだっけ?」と、民族の隔てなく教え合い、完成するとみんな笑顔で一緒に喜びを分かち合ったのです。

 

このときの子どもたちの笑顔を、私はいまも忘れることができません。それ以来、私は紛争地に赴く際、出張鞄の中に「折り紙」を常備するようになりました。

 

このエピソードが、私が国際政治学の視座から“文化の力”に目覚めたきっかけでした。

 

私は、紛争解決に関する研究において、政治、安全保障、経済復興といったテーマがしばしば取り上げられる一方で、文化については掘り下げた分析がないことを、かねてから疑問に思っていました。そのため、2006年に国際文化交流を実施する専門機関「国際交流基金(The Japan Foundation)」の特別研究員となってからは、研究の裾野を広げて紛争解決における文化の役割に着目し、インドネシア アチェにおける演劇ワークショップや、南東欧での紛争の記憶に関する文学競作プロジェクトなど、紛争後の平和構築につながる文化活動を調査し、その役割に関する分析を試みてきました。

 

東西冷戦後の紛争は、「国家間戦争」より「内戦」が増えています。そのため、和平協定が締結された後に、紛争当事者どうしが近隣、または同一コミュニティ内に混住しなければならない状況が生まれています。こうした状況下で平和を定着させるためには、一度は敵と味方に分かれて戦った人々の民族や宗教の違いを越えた相互理解、さらには和解が不可欠です。その糸口として、従来からの政治的支援、安全保障的支援、経済的支援に加えて“文化面からの取り組み”を実施することで、平和構築における“基礎工事”は、いっそう強固なものとなる……私はそう確信しています。

 

このコラムでは、スポーツや文化芸術活動が、紛争解決や民族融和、そして共生に重要な役割を果たしている例をいくつか紹介しながら、「平和構築を支える文化の力」について考えてみたいと思います。

スポーツを通じた民族融和

サッカーは子どもたちの大好きなスポーツであり、対立するグループ間のコミュニケーションの手段としてだけではなく、サッカーによって人々の自信を回復させ、希望を与えることにもつながっています。その一例として、東ティモールの少年サッカーチームの活躍を題材にした韓国映画『裸足の夢』の事例を紹介します。

 

『裸足の夢(A Barefoot Dream)』は、長年にわたる植民地支配と独立戦争を経て独立したものの、いまだ貧困に苦しむ東ティモールの子どもたちを、国際サッカー大会で優勝に導いた韓国人監督の実話をもとに描いたスポーツドラマです。

 

かつてプロサッカー選手として将来を有望視されていたウォンガンは、引退後に始めた事業で失敗し、新たな人生を求めて東ティモールを訪れます。そこで、裸足のままサッカーに興じる子どもたちを目撃したウォンガンは、サッカー用品店を開いて貧しい子どもたちに1日1ドルの割賦契約でシューズを与え、サッカーを教えることに。ある日、サッカーの国際大会が広島で開催されることを知ったウォンガンは、教え子たちを出場させることを決意するのです。

 

内戦や独立をめぐる葛藤は、少年たちの間にも色濃く存在していました。その葛藤は、映画に登場する2人の少年、ラモスとモタビオの関係に表れています。ラモスの家族や親戚は東ティモール独立のために戦い、独立後、親インドネシア派の民兵によって殺害されたり、暴行を受けたりしました。対してモタビオの家族や親戚は親インドネシア派を支持していました。2人はささいなことで喧嘩を繰り返していましたが、サッカーを通じてしだいに心を開くようになります。

 

ウォンガンのモデルとなった韓国人監督キム・シンファンは、朝鮮戦争を経験した祖国の歴史から、同じ民族どうしが憎しみ合うことの不条理や悲しみを深く理解し「東ティモールの子どもたちに同じ痛みを味わってほしくない」という思いから、チームの指導を決心したと語っています。

 

この少年サッカーチームは、広島で開催された国際大会「リベリーノ・カップ」に出場し、2004年、2005年と連続優勝を果たします。戦争や内戦に苦しんできた東ティモールの子どもたちが、平和都市・広島の地で世界一の栄冠を手にしたことは、映画を通じて世界中に希望を与えました。

 

もうひとつ、「サッカーを通じた平和構築」の例をご紹介しましょう。

 

ボスニア・ヘルツェゴビナ民族紛争の激戦地、南部モスタルで民族融和を進めるため、元サッカー日本代表主将の宮本恒靖氏(現・ガンバ大阪監督)が計画したスポーツ・アカデミー「マリ・モスト(小さな橋)」が2016年に開校しました。

 

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争は1992~95年の3年半以上にわたって繰り広げられた紛争です。死者20万人、難民・避難民は200万人を超え、民族間で行われた殺戮によって、対立感情はまだまだ強く残っています。宮本さんがこの問題を知ったきっかけは、「FIFAマスター」の卒業プロジェクトでした。FIFAマスターとは、国際サッカー連盟(FIFA)が主宰するスポーツに関する組織論や法律について学ぶ修士課程のコースです。宮本さんは仲間たちと「1つのボールを追いかけながら、ボシュニャク(ムスリム)系、クロアチア系、セルビア系の子どもたちみんなが笑顔になる時間を作ろう」「民族対立の歴史を乗り越えた子どもたちが、国を担っていく存在になってほしい」と話し合い、実現可能性を突き詰めた仮説として、プロジェクト案を発表しました。

 

その後、宮本さんたちは、実現に向けて外務省の人間の安全保障・草の根無償資金の支援をとりつけ、法人を設立し、現地のスポーツ省、サッカー協会、UNDP(国連開発計画)などと粘り強く交渉を重ねました。そして2016年10月、ついに「マリ・モスト」は開校を迎えます。日本の支援で整備された拠点のサッカー場をモスタル市に引き渡す式典には、ボスニア出身のイビチャ・オシム元日本代表監督も出席。アカデミーにはボシュニャク(ムスリム)系、クロアチア系、セルビア系住民ら約60人が登録しています。宮本さんは「一緒にボールを蹴れば、民族の違いは関係ない。スポーツを通じて、相手をリスペクトする気持ちやフェアネス(公平・公正)を伝えたい」と語っています。

 

このほか、包括的平和構築には、サッカー以外にもマラソン、テニス、柔道などさまざまなスポーツが活用されています。スポーツが国境や民族、そして憎悪などの記憶の壁を越える共通言語となりうることは、包括的平和構築に向かってのコミュニケーションの道を切り開くうえで重要な鍵となる可能性があると言えるでしょう。

 

「マリ・モスト」の活動拠点であるモスタル市の風景

音楽を通じた“大きな実験”

スポーツと同様に、音楽が紛争地の平和構築――特に紛争の相対化や紛争当事者間の信頼醸成に大きな役割を果たしている事例があります。ここでは、アルゼンチン生まれのイスラエル人指揮者ダニエル・バレンボイムと、パレスチナ系アメリカ人文学者エドワード・サイードが、イスラエルとパレスチナの融和を目指して結成した「ウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団」の例をご紹介します。

 

この楽団が設立されたきっかけは、両氏が1999年、ゲーテ生誕250年祝典の一環として、ドイツのワイマールで音楽に関わる行事を企画してほしいという要請を祝典実行委員会から受けたことでした。バレンボイムは友人のサイードと相談し、ワイマールに約70人のイスラエル、パレスチナ、アラブ諸国(ヨルダン、レバノン、シリア、エジプト、トルコ、イラン)の若手音楽家を集め、ワークショップを開催することを提案します。このときサイードは「ゲーテがイスラムへの熱意をもとに素晴らしい詩集を書き上げた精神にならって(イスラエル、パレスチナ、アラブの音楽家を)ひとつのオーケストラで演奏させたら面白いと思った」と語りました。ワイマールは“ヨーロッパの文化の中心地”という称号を与えられた土地。2人は、このワークショップを、互いに存在を知らない音楽家たちが知り合う“大きな実験”と呼びました。

 

ワイマールでのイベントの後も楽団の活動は続き、毎年夏に3週間、セビリア(スペイン)で合宿プログラムが行われてきました。合宿では、午前と午後にバレンボイムの指揮のもと、オーケストラのリハーサルが行われ、夜には、週に何度かサイードの指導でディスカッションの場が設けられて、メンバーたちは音楽、文化、政治についての議論をしました。ただし、議論に際しては「あからさまな政治論争はしない」という不文律が設けられました。

 

参加した楽団員たちは、「同じ譜面台を共有することで、意見は合わないが、対話をすることはできる」と語ります。また、ヨルダンから参加した少年ピアニストは「イスラエル人は人間ではないと思っていた。しかし、このワークショップに来て、イスラエル人も同じ興味を持ち、同じような生活を送っていることを知った」と語ったそうです。音楽には境界がない一方で、全員が共同で作業をすることを求められます。メンバーたちは、ともに演奏することを通して、自由や平等、互いの存在を認め合うという共通のビジョンを経験する機会を得ることができたのです。

 

楽団の活動は、さらに新たな展開をみせます。2016年12月、ドイツ・ベルリン国立歌劇場の裏手に「バレンボイム・サイード・アカデミー」がオープンしたのです。これは、バレンボイムが、近年、とりわけ力を注いできたプロジェクトでした。このアカデミーでは、奨学生として選ばれた中東出身の若き音楽家たちが3年間、ベルリンで学ぶ機会を与えられます。ドイツ政府はこのプロジェクトを「中東和平のためにドイツとして貢献できる」と評価し、アカデミーの本拠地の建設費用3,400万ユーロのうち、2,000万ユーロを出資。今後も財政的に援助していくことを発表しています。

 

2013年、バレンボイムは朝日新聞のインタビューに応じていますが、そこで語られた言葉こそ、新しいアカデミーの理念そのものと言っていいでしょう。

 

「音楽こそが、あらゆる異分子を調和へと導く希望の礎です。音楽家は政治に何の貢献もできないが、好奇心の欠如という病に向き合うことはできる。好奇心を持つということは、他者のことばを聞く耳を持つということ。相手の話を聞く姿勢を失っているのが今日のあらゆる政治的な対立の要因です」

 

もちろん、音楽は演奏者だけではなく、聴衆の心にも変化をもたらします。紛争中に銃声や破壊音にさらされた人々に、「豊かな音の世界」を提供することは、平和構築において重要な意味を持っています。久しぶりにコンサートに参加した紛争地の聴衆の感動に頬を染めた顔は、音の世界が持つパワーを示していると言えるでしょう。

「文化による平和構築」は、万能ではない

これらの例を見ると、スポーツ・文化活動には「心の平和を築く」ための重要な役割が含まれていることがわかります。

 

第1に「立場の異なる人たちに、同じ時空間を共有させる役割」です。ウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団に集った若手音楽家たちは、3週間にわたって寝食を共にし、リハーサルや議論を重ねることで、対話の重要さを知り、相手も同じ人間であると認め合える関係を築くことができました。マリ・モストでも、同じ時間に、同じグラウンドでともにサッカーを楽しんだという子どもたちの原体験は、10年後、20年後に民族間の垣根を越えて共生するきっかけになることでしょう。

 

第2に「共通言語(触媒)としての役割」です。冒頭で紹介した「折り鶴」のエピソードでは、「上手に鶴を折りたい」「千羽鶴を折りたい」という思いが、民族の壁を越えて互いに尋ね、教え合う関係を醸成しました。同様に、サッカーや音楽でも「もっとうまくプレーしたい」「上手に演奏したい」というひたむきな思いが相互理解や信頼醸成につながっているのです。

 

そして第3に「誇りや連帯感を回復させる役割」です。東ティモールの少年サッカーチームが、立場の違いを越えて連携し、国際大会で優勝したことは、選手たちだけでなく、応援する親や親戚、地域コミュニティの人々に対しても、失われかけていた東ティモール国民としての誇りや連帯感の回復に貢献したといえるでしょう。

 

このように文化活動には、平和構築プロセスにおいて重要なメカニズムを担う可能性が期待されています。とりわけ内戦型紛争の場合には、和平調停後も敵と味方が同じコミュニティ内や近隣に居住することとなります。だからこそ、敵を隣人として受け入れ、ともに生きていくための「心の平和構築」が必須なのです。

 

しかしながら、文化活動支援のみによって「平和を配達する」ことはできません。平和構築プロセスにおける文化活動は、政治的支援、安全保障的支援、経済的支援などとともに包括的に実施されることで、はじめてその効果を発揮することができる……このことを忘れてはならないと思います。

 

民族紛争や内戦は、さまざまな形で人々の心に深い傷を残します。 紛争地の人々は、表面的にはにこやかにふるまっているように見えても、心の奥底では恨みや復讐心、閉塞感といったネガティブな感情が渦巻いているかもしれません。そのため、紛争当事者間の和解は、容易に達成できるものではありません。バレンボイムさんや宮本恒靖さんが「和解」という言葉を使わないのは、和解がいかに難しいかを身に染みて知っているからでしょう。

 

私は国際政治学の立場から、包括的・多面的な平和構築において、文化活動がどのような役割を果たすことができるのかを、調査・研究を通じて解き明かしていきたいと考えています。

 

(2018年掲載)

あわせて読みたい

  • 福島安紀子 『紛争と文化外交』慶應義塾大学出版会 2012 年
  • 福島安紀子 「文化・スポーツと心の平和構築」東大作編著『人間の安全保障と平和構築』日本評論社 2017 年

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