私たちが生きている世界には、
身近なことから人類全体に関わることまで、
さまざまな問題が溢れています。
意外に知られていない現状や真相を、
本学が誇る教員たちが興味深い視点から
解き明かします。
1973年に発生した第一次オイルショック以前の日本経済は、いくたびかの不況はあったものの長期トレンドとしては、高度経済成長時代といわれる順調な時代でした。この高度経済成長時代を支えたのが、欧米先進諸国で開発されたモノや技術を分析して改善し、品質と生産性を上げるという、いわば「キャッチアップ型」の経済でした。もっとも1970年代には日本はGDP世界第2位の経済大国でしたが、キャッチアップ型経済に適した競争戦略は維持していました。そして、このキャッチアップ経済に適した形で日本型人事は形成され、日本社会に定着したのです。キャッチアップ型経済で必要なのは、決まったことを速く正確に行う能力であり、その際に長期雇用はとても有効に機能します。
長期雇用は、長年同じメンバーで仕事をするため、お互いの考えを理解しやすく、自然に価値観も似てきます。足並みをそろえて決まったことを進めるためには、知識、スキル、考え方の似た人間が集まった方が効率的です。長期雇用は理にかなっていたといえます。
また、長期雇用と年功制は補完関係にあります。まず、年功制は長期雇用を前提としています。若い時期には仕事の成果より低い賃金で働き、中高年になると成果以上の賃金を支払う、というのが年功制ですから、企業側は働く人を納得させるために長期間の雇用を保障します。さらに、働く側は、同じ会社で長く働けばいずれ賃金が上がるので、転職しようとはあまり考えないでしょう。
長期雇用と年功制は、同時に企業内に激烈な競争を生みます。一見、矛盾するように思えますが、考えてみれば理にかなったことです。つまり、年功制とはいえ、全員に対して人事考課は行われ、昇進や昇給も平等というわけでありません。年功制とは逆の若いうちに昇進や昇格に大きな差がつく人事としてしまうと、出世競争から脱落する社員が多くなり、それらの人たちは出世を目指して猛烈に働くという事はしなくなるでしょう。これに対して若いうちは昇進・昇給にあまり差をつかなくしておけば、多くの社員が長い間出世競争を行うことになります。これを実現するために、日本では全員がある程度まで昇給、昇格するようなあいまいな評価制度が用いられ、その結果、キャリアの後半になるまで出世に差が出ない、いわば「遅い選抜」が行われてきました。
さらにこの競争を可能にしたのが、男女分業制です。男性が賃金を得て家族全員を養い、家事や育児を女性が行うという分業化の起源は、重工業の産業革命以降の欧米諸国でした。欧米では19世紀末ごろから次第に男女分業化が始まりました。1950~60年代に最盛期を迎えますが、70年代以降、経済が競争力を失ったのを契機に変化し、女性の社会進出が進んでいきます。またウーマンリブ運動など社会的なムーブメントも女性の社会進出を後押ししました。
そして欧米各国で女性の社会進出が進み始めた70~80年代に、日本では遅れて男女分業化が進んでいき、男性は企業で猛烈に働き、女性は専業主婦として家庭に入る傾向が顕著になります。この家族モデルを支える配偶者控除や扶養手当といった制度も導入されるなど、政府も積極的に男女分業型社会を後押ししました。このように考えてみると、男女分業、長期雇用、年功制といった制度が浸透したのは、日本の社会に合っていたからというより、キャッチアップ型経済に合っていたからだといえます。そして欧米の背中を追いかけている間は、そうした制度が有効に作用し、成果が出ていたのです。
しかし、90年代以降は本格的にグローバル化が進展し、新興国にコスト競争力を奪われることとなりました。当然、日本型人事戦略にも変化が求められます。ここでは2つの問題を指摘しておきましょう。
一つは、モノトーンの企業では新しいモノを生み出せない、ということです。キャッチアップ型では有益だった類似性の高い人材がそろった組織は、変化に弱く、革新的な発想はなかなか生まれません。女性の活用、転職の活性化などによって、経験や価値観の異なる多様な人が集まる組織への転換が必要になったのです。
もう一つは、個人の雇用不安です。グローバル化やM&Aが広がり、事業単位での売却なども増えました。それまでになかった形で企業が形を変える時代になり、年功制の基準である年齢や勤続年数ではなく、個人としてどんな仕事をしてきたのか、何ができるのかを評価することが必要になりました。しかし、多くの企業では個人の職務内容を明確にして評価する知識やスキルは養われていません。
かつて長期雇用、年功制、男女分業制などは日本経済の競争力強化の基盤となり、企業と政府が一体となってそれらに合った制度や規制を作りました。そうした制度を利用した方が「得」になる社会構造が出来上がったことで、社会の中に人事が埋め込まれました。企業の人事の変化が課題になっているにも関わらずなかなか進まないのは、大きな社会の変化を必要とするからです。
ではこれからの世界で、日本の社会と人事はどのように変化するのが望ましいのでしょうか。私は「時間的には全員がそこそこ働く社会」が、先進国にとって最も生産性の高い社会の在り方だと考えています。時間的にという部分が重要です。時間は短いが創造的で生産性の高い仕事をしよういということです。
キャッチアップ型とは異なり、先進国は新しいモノやアイデアを生み出していかなければ経済成長は望めません。多様なメンバーと働き、労働時間を減らして視野を広げたり新しいことを身に付けたりする時間を作る方が、生産性は向上するはずです。先進国では「時間的にはみんながそこそこ働く状態」が、一番生産性が高いのです。
1970~80年代に、少子高齢化に傾いた国々の中で少子化を食い止められたのは、アメリカや北欧など「男女とも、時間的にはそこそこ働いて、同時にそこそこ家事や育児をする」というモデルを導入した国でした。北欧などヨーロッパの一部の国が導入したのは、男女が一緒に育児をし、女性の早期職場復帰を促すための施策です。育児休暇や時短勤務の充実ではなく、例えば保育園に送迎する人を雇う場合に補助金を出す、といった、フルタイムで働く子育て世帯への直接的な支援を行ったのです。こうした補助によって親が仕事に早く復帰し、税金と社会保障費をしっかり収めた方が、国家財政が潤います。もちろん少子化対策には時短勤務や育休も重要です。こういった制度を男女問わず利用し、みんなが時間的にはそこそこ一生働く。子どもを産んでも損をしないしキャリアも傷つかない。そうした仕組みの方が、社会全体の生産性を向上させ、国家財政の利益につながり、個人の幸せにもなるはずです。
「同一労働同一賃金」は、転職の活性化やダイバーシティと密接に関わる課題です。現在の日本では、「同一労働同一賃金」という言葉は、同じ組織で働く正社員と非正規社員についての議論で用いられます。しかし、世界ではより幅広く「労働市場全体で、同じ仕事であればどの企業や組織でも同じ賃金である」ことを意味します。自分の仕事に応じて賃金が決まれば、年齢や勤続年数に関わらずどこで働いても同じ賃金を得られるわけですから、転職しやすくなり、ダイバーシティも広がります。
この意味での「同一労働同一賃金」を実現するためには、働いている本人はもちろん、上司や人事部門が一人一人の職務の内容を理解し、評価する必要があります。これまであいまいな評価制度を続けてきた日本の企業はこの能力が不十分であり、大きな課題の一つと言えるでしょう。
さらにこうした仕事に見合った賃金への移行は、教育費や奨学金の問題とも深い関係があります。多くの企業の給与は、仕事の報酬に扶養手当などが加えた生活給です。これは、「企業が親に教育費を賃金の形で渡している」ともいえます。しかし本来、社会を支える次世代は社会が育てるものであり、教育費は社会が負担するべきものです。親は本人の労働に見合った賃金を得て、教育費は社会から直接子どもに与えることが、本当の意味での社会保障です。親の所得に左右されずに教育を受けることができ、優秀な学生にはさらに奨学金を支給する。そうして育成した人材が、新しい成果を生み出して次の社会をつくる環境が、理想的ではないかと考えています。
日本型の「遅い選抜」を止めることは、若い世代にセカンドチャンスを与えます。キャリアの浅いうちに退職しても、MBAを取得するなど、労働市場での自分の価値を上げる努力をすることで、次の仕事ではより高い賃金を得ることにもつながるでしょう。
日本型の人事戦略が転機を迎えて20年以上が経ち、グローバル企業や大企業を中心に、職務や役割をベースにした人事管理を導入する企業は増えています。しかし全体として、こうしたシステムを運用するまでには、まだ時間がかかるとみています。少子高齢化に歯止めをかけ、総活躍社会を実現するためには、人事戦略の変化が重要な要素です。働く人それぞれが自分のキャリアを考え、個々の仕事の評価が正しく行われ、それを推進する人事システムを使えるようになることが、これからの日本の成長を考えるポイントになってくるはずです。
(2019年掲載)