AGU RESEARCH

世界を解き明かすコラム
ー 研究者に迫る ー

私たちが生きている世界には、
身近なことから人類全体に関わることまで、
さまざまな問題が溢れています。
意外に知られていない現状や真相を、
本学が誇る教員たちが興味深い視点から
解き明かします。

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  • ナノバイオテクノロジーの可能性
  • 三井 敏之 教授
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ナノバイオテクノロジーって何?

生物のふるまいを、原子や分子のレベルで解析する……私が専門とする「ナノバイオテクノロジー」は、近年、急激な発展を遂げている「ナノテクノロジー」と、過去数十年にわたってさまざまな知見を蓄積してきた「バイオテクノロジー」とが融合することによって生まれた、新しい研究分野です。

 

ナノテクノロジーとは、物質をナノメートル(1メートルの10億分の1)の領域、つまり「原子や分子のスケール」で自在に操作することで、新素材や、新たな機能をもった装置をつくりあげる技術のことです。

 

ナノテクノロジーという概念が誕生したのは1959年。ノーベル物理学賞を受賞した米国の物理学者リチャード・ファインマン氏がアメリカ物理学会で行った講演でのことでした。「There’s Plenty of Room at the Bottom(微小な世界にはたっぷりと空きがある)」と題したその講演で、「原子・分子ひとつひとつを操作することが可能である」と指摘したことに始まります。その後、1981年に「走査型トンネル顕微鏡(Scanning Tunneling Microscope=STM)」が発明され、原子・分子が直接観測できるようになって、ナノテクノロジーは大きな飛躍を遂げることとなります。1990年には、IBMチューリッヒ研究所が、このSTMを使って原子を1個ずつ移動させ、「I・B・M」の3文字を描くことに成功。実用化にはほど遠いものの「原子をひとつひとつ組み立てる」ことが、理屈的には可能になりました。

 

当時、ミネソタ大学の物理学科で研究助手として学んでいた私は、6年がかりでSTMを自作しました。そして、このSTMを用いてアルミニウムのナノ構造をつくることに成功し、論文を発表するなどの研究成果を挙げました。そんな日々の中で、「この技術を使って、自分自身のライフワークとなるような新たな研究ができないか」と考えるようになりました。そして、自問自答を繰り返すうちに思い至ったのが「生物の神秘」でした。

 

ナノテクノロジーの研究では、分子と分子を結合させるためにさまざまな細工をするのですが、たった2つの分子をつなげるだけでも多くの時間を必要とします。しかし生物の中の原子や分子は、ごく当たり前に結合しています。そのメカニズムは、まさに“神秘的”でした。そこで、これまで培ってきた「STMで原子・分子を観測する技術」を用いて生命現象を解析することに新たにチャレンジしたいと思ったのです。

 

そんな矢先、ハーバード大学の分子生物学科で、ナノテクノロジーと分子生物学を融合した研究を行っているグループが存在していることを知り、公募に応募してハーバード大学で研究を続けることになりました。これが、私とナノバイオテクノロジーとの出会いです。

ナノバイオテクノロジーの最先端

では現在、ナノバイオテクノロジーの最先端では、どんな研究が行われているのでしょうか?その一例をご紹介しましょう。

 

生物物理学の世界では、原子、分子のレベルで生物のメカニズムがわかってきました。例えば、遺伝情報を担うDNAが「二重らせん構造」になっていること、4種類の塩基(アデニン、チミン、グアニン、シトシン)の組み合わせで遺伝子の性格が決められること、さらにはそのDNAがつくりだす生物の遺伝情報の総体(ゲノム)も明らかになってきています。DNA分子は長くて柔らかい「ひも」状の形をしており、ヒトDNAの場合、太さは約2ナノメートル、1つの細胞に含まれるすべてのDNAをつなげると、その長さは2メートルにも達します。

 

近年、このDNAを人工的に作った直径数ナノメートルの微小な穴(ナノポア)に通して、1分子単位で解析する「ナノポア技術」の実験が可能と言われています。この実験は、DNA塩基配列を高効率で決定できる新手法に活用できると期待されています。つまり「DNAのスキャナ」ができるのです(図1)。

現在よく使われているDNA解析の手法は、まずDNAの複製を作り、それを統計的に解読していくという方法です。この場合、最初にDNAの複製をたくさん作らなくてはいけないので、時間もかかり、また特殊な試薬を必要とするなどの問題点がありました。

 

ところが、ナノポア技術では、1本のDNAさえあれば作業ができ、複製を作る手間が不要です。解読の速度は1塩基あたり1ミリ秒(1000分の1秒)以下と見積もられています。30億あるヒトDNAの塩基配列も、複数の装置で並列的に解読すれば、すべての遺伝情報を1日程度で解析することが可能です。また、特殊な試薬も必要ないため、コスト的にも低減が図れます。

 

この解析技術を利用すれば、例えばスマートフォンに専用の小型機器を搭載し、自分のDNA塩基配列を自分の端末にデータとして保存しておくということも可能になります。こうした技術によって、病気の早期発見が可能となるだけでなく、新たな薬の開発や再生医療にも貢献することが期待されているのです。

 

しかし、現状のナノポア技術では、2メートルもの長さのヒトDNAを一度に読み取ることはできません。複雑にからみ合ったDNAを1本に引き伸ばし、ナノポア内に誘導するためには、どんな成分の溶液中を泳がせるか、どの程度の電気的刺激を与えるかなど、最適な環境を探り当てる必要があります。私たちは、現在そのための研究に取り組んでいます。

生物の「自己組織化」に学ぶ

生物の生態活動を分子・原子レベルで観察してみると、すべてが完璧で、ひとつのエラーもないことに、あらためて驚かされます。

 

「原子・分子を観測する技術」を用いて生命現象を解析することにチャレンジしたい……そんな思いから、研究の幅を広げて、細胞を直接扱った研究にも着手しました。細胞内の構造は完璧で無駄がありません。その精緻なシステムは、大阪大学大学院・難波啓一教授が明らかにした「鞭毛(べんもう)モーター」の仕組みをみると明らかです。

 

大腸菌は、らせん状の鞭毛を高速で回転させることで水の中を泳ぎ回ります。その回転速度は、1秒間に300回に及びます。それでいて車のエンジンのように熱を発生しないため、エネルギーのロスがほとんどありません。そして驚くべきことはその大きさです。約30ナノメートルのモーターは、難波先生の言うように“自然界で最も小さく、最も強力なモーター”なのです(図2)。鞭毛モーターを構成するのはMotA/BやMS ringやC ring と呼ばれるタンパク質からなる複合分子で、それぞれが“パーツ”として組み合わさることで1つのモーターとして機能しています。これらのパーツのうち、どれか1つが欠けても、モーターとしては機能しないでしょう。

 

私は、初めてこの構造を観察したとき「これこそが“完璧”というものだ」と、感動しました。生物は、このように微小で精緻なシステムを「自己組織化」という能力によって、いとも簡単につくり上げてしまうのです。

私は、この鞭毛モーターのような生物の優れた構造を研究し、人工物として模倣することができないかを試したいと思っています。

 

生命科学の「根源」部分には、まだまだ解明できていないことが多くあります。しかし、ナノバイオテクノロジーの進展によって、近い将来、それを解き明かす人がきっと現れることでしょう。私は「教科書を書き換えるような発見」を目指して研究を続けています。皆さんも“過去の常識”にとらわれることなく「いま理解していることは本当なのか」と常に自分自身に問いかける習慣を身につけてほしいと思います。そんな姿勢こそが、科学をもっと面白くするのです。

 

(2015年掲載)

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