私たちが生きている世界には、
身近なことから人類全体に関わることまで、
さまざまな問題が溢れています。
意外に知られていない現状や真相を、
本学が誇る教員たちが興味深い視点から
解き明かします。
私の研究対象は、空間情報です。「空間情報」などというと、自分とは縁遠いものと思われる方もいるかもしれませんが、実は、日常生活の中に無数にあります。例えば、あなたが何気なく撮影した写真であっても、どこで撮影したかが明らかな場合は空間情報であり、「近所のラーメン屋の味噌ラーメンは600円である」といった情報も空間情報です。同様に、道路、看板、建物、樹木といった、地表面にある、ありとあらゆるものは「位置」に紐付けできますから空間情報となります。また、地図情報や気象データ、人・車両の位置情報、衛星写真などのデータ、研究者や専門家らがGPS(Global Positioning System : 全地球測位システム)等を用いて取得したデータも空間情報なのです。
私たちが普段の生活の中で、この空間情報をどのように活用しているかを、もう少し詳しく見てみましょう。例えばあなたがランチを食べに行くことを考えると、目的の店がどこにあるか、その店に行くまでの道がどうなっているか、といった空間情報を日頃から頭の中にストックしておき、ランチに出かける際には、それらの情報を用いて店を選んでいます。この例に限らず、私たちは常日頃から系統的に空間情報を集めて保持し、その情報を駆使して行動の指針を得る術、いわば「空間情報活用の術」を用いて暮らしていると言っていいでしょう。
現在、この空間情報を利用した新しい種類のサービスが急速に広がっています。中でも空間情報を媒介としたコミュニケーションを「ジオメディア(GeoMedia)」と呼んでいます。
ジオメディアは、従来型の地図情報を使った地理情報システム(GIS)の機能に加え、携帯電話やスマートフォンに搭載されているGPS機能を使うサービスで飛躍的に発展しつつあります。ジオメディアの特徴は「その時」「その場所」「その状況」に応じた情報を受け取ったり伝えたりできる所にあり、利用者は、この技術によっていま自分がいる場所にふさわしい有用な情報を簡単に入手することができ、事業者はピンポイントで広告などを配信することができるようになりました。
私の演習では「ジオメディア演習」を行っていますが、そこでは、例えば「ウェブやスマートフォンを使ってキャンパス内のバリア情報を伝える」といった課題に取り組んでいます。学生たちは、障害者にとって危険な場所や手助けを必要とする場所などを自分で見つけ出し、写真で記録して、「どこが危ないのか」「どのような経路を通れば目的地に安全に到着できるのか」といった情報を配信するアプリを作っています。また、キャンパスを訪れる受験希望者に向けて、スマートフォンの地図と学生同士のかけあい音声でチャペルや銅像などを紹介するコンテンツ作りなどにもチャレンジしています。
このように、空間情報を利用したサービスは、ビジネスやエンターテインメントをはじめ、防災、地域振興、農業、都市づくりなど、私たちをとりまく社会を大きく変える可能性を秘めているのです。
人類が地球上に現れて以来、私たちが世界を認識する基軸は「時間」と「空間」だったのではないでしょうか。人間は、何が、いつ、どこにあるかという「時空間情報」を集め、記憶し、駆使することで行動の指針を得てきました。実際、石器時代においても、「どこにイノシシがいるか」「どこのクリの木がいつ実を結ぶか」などは、命をつなぐために欠かせない情報だったに違いありません。
歴史を振り返ってみれば、人間は、時間と空間の基軸を社会的に決めること、そして、その基軸上の時点、地点を知る技術開発に多大な力を注いできました。そして、その成否が人類の歴史を大きく変えてきたのです。
まずは「時間情報活用の術」から見てみましょう。時間軸の時点を測る技術は、古くは日時計に始まり、13世紀の機械時計の登場を経て、17世紀に懐中時計が開発され、20世紀に入ると、多くの人々が腕時計を持ち、いつでも、どこでも、誰でもが正確な時間を容易に知ることができるようになりました。いつでも、どこでも容易に情報へアクセスできる状態を「ユビキタス(ubiquitous)」と呼びます。ユビキタスの語源はラテン語で、「いたるところに存在する(遍在)」という意味です。懐中時計の発明によって時間はユビキタス化され、これにより時間資源の有効利用、労務管理の合理化が可能となり、20世紀の近代工業社会の飛躍的発展を生み出したのです。この飛躍的発展を「ユビキタス時間情報革命」と呼んでいいでしょう。
一方、「空間情報活用の術」はどうでしょうか。空間における位置を示す社会的共通な参照系として「緯度」と「経度」が知られています。
このうち、緯度については、太陽の高度から知る技術が紀元前に発明され、それを知る道具は六分儀として完成しました。しかし、経度を容易に知る技術は18世紀まで発見されていませんでした。そのため、ヨーロッパのアジア貿易船舶の多くが海上での正確な経度を把握できないために海難事故に遭遇し、深刻な社会問題となっていました。
こうした事態に対応すべく1714年、英国議会は、「海上において船舶自身の位置の経度を正確に測定する方法を開発した者に懸賞金を与える」という法律を制定します。その賞金額は、なんと「国王の身代金相当額」だったそうです。この賞金問題を解いたのがジョン・ハリソンという時計職人でした。彼は高精度な懐中時計を完成させ、経度の正確な測定に貢献しました。英国はこの時計を採用することで“七つの海の覇者”となったのです。
その後、これを超える技術の登場は、20世紀まで待たねばなりませんでした。その技術がGPSです。1996年にGPSの民間利用が確立され、緯度経度を知ることができるようになったものの、その動的精度はまだ不十分で、しかも屋内では正確な測定ができないという課題を抱えています。
このように、21世紀を迎えた現在も、空間については「時間にとっての正確な腕時計」にあたるものが、まだ現れてはいません。しかし、急速に発達しつつある空間情報技術は、それを実現するでしょう。空間情報をいつでも、どこでも、誰でも手軽に利用できるような仕組みができれば、「ユビキタス時間情報革命」の時のように、社会の生活は大きく変わることでしょう。
近年、空間情報技術が急速に進歩を遂げている要因としては、次の3つが挙げられます。第1に測位技術の向上。第2に大容量、高速通信といった情報通信技術の進展。そして第3は「Googleマップ」に象徴されるデジタル地図の開放です。
このうち、測位技術の向上については、2010年9月に高度な測位を可能にする準天頂衛星(*)の初号機「みちびき」が打ち上げられ、将来的には7機体制への拡充を目指しているほか、屋外・屋内を問わずシームレスに位置情報を発信・取得するための研究開発が進むなど、今後も大きな進展が見込まれています。
衛星測位システムはカーナビ以外にも、地図作りや建築作業に欠かせない測量、子供や高齢者の見守りサービス、農業機械等の自動制御、地震や火山の検知、天気予報など応用範囲が飛躍的に広がっています。準天頂衛星システムにより測位精度が上がり、位置が1m単位で把握できるようになると、これまでにない位置情報を活かしたサービスも生まれるに違いありません。
例えば防災分野では、位置情報を活用した被災者の居場所把握や、ディジタル地図を用いた多機関(警察・消防・自治体など)間のリアルタイムな被害状況の把握、共有によって、最適な避難誘導などの仕組みができれば、人命救助の可能性も高まるでしょう。
実際、青山学院大学総合研究所の研究として「青山キャンパス防災時空間情報システムの開発研究」プロジェクトを行っています(図1)。これは、学生受講表(何学期・何曜日・何限に何号室で受講)や、センサーを使った観測的調査などの詳細な時空間情報を利用し、何学期・何曜日・何時限に災害が起きた場合、何号館・何階・何号室から避難場所に逃げる経路における混雑度を推定し、危険個所を指摘したり、災害時点と日暮れまでの時間から、帰宅困難者学生数を推定するシステムを開発研究するものです。
また、2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピックに向けて、時空間情報を活用したさまざまな技術やサービスの登場が期待されています。
招致活動が行われていた2009年、来日したIOC(国際オリンピック委員会)の評価委員が、東京・晴海のスタジアム建設予定地でゴーグルをかけ、周囲を眺めながら笑顔を見せていたシーンが印象的でした。
16人の委員たちはゴーグルを通して、現場に実際にスタジアムが建っているようすを見ていました。それだけではありません。満員の観衆の中で行われている男子100メートル決勝のレースを体感していたのです。これは「複合現実感」というシステムを用いたもので、実際の背景映像にスタジアムのCG(コンピュータ・グラフィックス)映像を重ね合わせて、あたかも晴海の土地にスタジアムが現実的に存在するように見せたのです。
こうした技術を利用すれば、日本を訪れた外国人観光客に、東京の街を歩きながら、江戸時代の町並みを同時に楽しんでもらうというような「おもてなし」も可能になるのです。
20世紀のユビキタス時間情報革命がそうであったように、「時間にとっての正確な腕時計」にあたるものが空間においても実現できれば、大きな社会的イノベーションを起こす「ユビキタス時空間情報革命」が起きることでしょう。私も研究者の一人として、そのプロセスを興味深く見つめています。
(*) 準天頂衛星システム
準天頂とは「ほぼ真上にある」という意味。準天頂衛星システムとは、日本のほぼ真上を長時間に渡り覆う軌道に複数の測位衛星を飛行させ、その衛星から地上に向けて測位信号を配信するシステムのこと。2010年に初号機となる「みちびき」が打ち上げられている。現在は1機のみのため、日本で利用できる時間が限られているが、2016~2017年にはさらに追加の3機を打ち上げ、2018年度から4機体制での運用を行うことが決まっている。これにより、日本上空で利用できる衛星の数が増え、測位時間の短縮や測位精度の向上が期待できる。
(2014年掲載)